soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

喜び躍らせてくださるのだそうです。解放し、救って。

 あなたたちの神なる主によって


  喜び躍れ。ヨエル書2:23





 ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。


主はその民を訪れて解放し、


我らのために救いの角を、


しもべダビデの家から起こされた。ルカ1:68~69





 イザヤ書25:1~8


 イザヤ書62:1~5 


      (ローズンゲン日々の聖句12 /5;月)
 




 私たちは、自分についても周りのことについても不足ばかりが目につき、不満と批判ばっかりが心に浮かんでくる者ですね。


「神のようになり、善悪を知る者」になろうとしながら、全知でもなく、全能でもなく、永遠に生きる者でもない自分の実態に不満を感じているということでしょうか。
 




 けれども、今、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、「御子である神」がダビデの子孫である処女マリヤの胎を通して人間イエスとして人の世に来てくださり、ご自身が私たちすべての人間のそむきの罪の責任を負って十字架刑での処刑を受けてくださったことで、受け入れる者の「生まれたときからの霊」を処刑済み、死んだもの」としてくださり、受け入れる者に、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、この方によって受け入れる者の心に「父である神」が一人ひとりに思ってくださっている御思いを置いてくださって、受け入れる者が「父である神」と同じ思いを思い、一つ心になる、「義」なる関係に入れてくださるのだそうです。





 そして恵みで包んでくださり、祝福で覆って下さり、「打ち場は穀物で満ち、石がめは新しいぶどう酒と油で溢れるようにしてくださり、今までの災いを償ってくださり、楽しみ、喜べ」(ヨエルⅡ21~25)と言っていてくださるのだそうです。
 




 天の神、万軍の主は、弱っている者の砦、貧しい者の悩みの時の砦、嵐のときの避け所、暑さを避ける陰となられ、


あの山の上で万民のために、油の多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、髄の多いあぶらみとよくこされたぶどう酒の宴会を催してくださり、


万民の上をおおっている顔おおいと、万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、


永久に死を滅ぼし、すべての顔から涙をぬぐい、


ご自分の民へのそしりを全地の上から取り除いてくださるのだそうです(イザヤ25:4~8)。





 若い男が若い女をめとるように、花婿が花嫁を喜ぶように、


天の神、主は、私たちを喜んでくださるのだそうですから(イザヤ62:5)。
 




 イザヤのように私たちも言うのですね。
 
「主、『わたしはあるという者』と名乗られる方。
 
私はあなたをあがめ、
 
あなたの御名をほめたたえます。
 
あなたは遠い昔からの不思議なご計画を、
 
まことに、忠実に成し遂げてくださいました(イザヤ25:1)、と。
 
今日も。



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