soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

幼子のように自分を低くし、神のことばに聞いていく者は幸い

聞き従うことはいけにえにまさる。サムエル記上15:22


 幸いなのは神の言葉を聞き、
それを守る人である。ルカ11:28


 マタイ18:1~6
 フィリピ書4:10~23(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句7/27;木)


 奴隷状態であったエジプトを脱出したイスラエルの民。
不従順のゆえに、天の神、主から、「あなたがたを焼くその地には入れない」と言われ、
その当時の軍務に着く者が死に絶えるまでの40年を荒野で生活したのだそうです。
そして、世代が替わって、約束の地に入り、定住はしたのですが、
天の神、主に聞き、主である神と思いを同じくし、心を一つにして歩むことをせず、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」(創世記3:5、22)として、めいめいが自分の目に正しいと見えることを行っていたのだそうです(士師記21:25)。
そして、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方が王であったのに、周りの国々のように人間の王が欲しいと預言者サムエルに要求したので、
天の神、主は、ベニヤミン族のサウルを王として立てるよう、サムエルに命じられたのだそうです。


 預言者サムエルは、サウル王に告げました。
「天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方」は私を遣わして、あなたに油を注ぎ(王とする儀式)、その民イスラエルの王とされました。
今、主の言われることを聞きなさい。
万軍の主はこう仰せられる。
『わたしは、イスラエルがエジプトから上ってくる途中、アマレクがイスラエルにしたことを罰する。
今、行って、アマレクを打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。
容赦してはならない。男も女も、子どもも乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺せ。』


 サウルは、天の神、主から立てられて王となりましたが、自分の実力で王となったのではなく、
サウルの属するベニヤミン族は、イスラエル12部族の中で最も小さく、
また、サウルは父の家でも末っ子で最も小さい者、若者だったのだそうです。


それで、民を恐れ、民の言うことを聞いて、羊と牛の最も良いものを残したのだそうです。
「あなたの神、主にいけにえをささげるために」と言って。


 それに対してサムエルは答えたのだそうです。
「あなたは、自分では小さい者にすぎないと思ってはいても、イスラエルの諸部族のかしらではありませんか。
主があなたに油を注ぎ、イスラエルの王とされました。
主は主の御声に聞き従うほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。
見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、
耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。
まことに、そむくことは占いの罪、
従わないことは偶像礼拝の罪だ。
あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」(Ⅰサムエル15:1~23 新改訳)と。


こうして、イスラエルの最初の王朝は、サウル一代で終わることになり、
代わって、ダビデが王として立てられることになっていったのだそうです。


「幸いなのは、神のことばを聞き、それを守る人」(ルカ11:28)なのだそうですから。



 弟子たちが、イエスに「天の御国では、だれが一番偉いのでしょうか」と問うたとき、
イエスは、小さい子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、言われたのだそうです。
「まことに、あなたがたに告げます。
あなたがたも、向きを変えて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、入れません。
だから、この子どものように、自分を低くするものが、天の御国で一番偉い人です」(マタイ18:1~4)と。


 そして、このように、自分を低くし、イエスが派遣してくださる〔聖である霊」と呼ばれる方によって神のことばに聞いていく者は、どんな境遇にあっても満ち足りることを知っており、
貧しさの中にいる道も、豊かさの中にいる道も、
飽くことにも飢えることにも、
富むことにも乏しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ている者にしていただけるのだそうです(ピリピ4:11~12)。
「岩もあり、木の根もあれど、さらさらと、たださらさらと、水の流るる」(甲斐和理子)と、
こだわらず、とらわれることなく、自由に、大胆に、していただいて。
今日も。
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