soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

「すべては、わたしが創造した」とおっしゃる方が

 すべての命はわたしのものである。エゼキエル書18:4


 イエスの言葉:
わたしの父の家には
住む所がたくさんある。ヨハネ14:2


 ヨハネ13:1~15(34~35)
 Ⅰコリント11:23~26
 ヨハネ19:1~16a(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/29;木)


 「すべての命はわたしのものである」と宣言できる方、
その方が、天の神、主、
「『わたしはある』という者」と名乗られる方なのだそうです。


 「すべてのことが、神から発し、
神によって成り、
神に至る」(ロマ11:36)のだそうですから。


 最初の人アダムも、そして私たち一人一人も、
また、わたしたちの住まいとして用意された
この地球、その自然環境、天地宇宙も、
人間の歴史の出来事の一つ一つも、
〔父である神〕の御思いから発し、あるいは許しの中で起こり、
神にかえっていくのですね。


 イエスも、〔父である神〕の御思いによって、人として人の世に来られ、
御思いのとおりを歩まれ、
御思いのとおりの業を成し遂げられ、完了されて(ヨハネ19:30)、
〔父〕の身元に帰って行こうとしておられた(ヨハネ13:1)のだそうです。


 それで、〔父である神〕御思いのとおりに、
ご自身が、まるで奴隷がするように、弟子たちの足を洗い、
やがて、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られて、
弟子たちの心に〔父である神〕の御思いを置かれるとき、
弟子たちも、互いに足を洗い合う、
互いに愛し合う、
相手を大切に思い合い、
相手の欠点や失敗を補い合う思いが来るようなる
(ヨハネ13:1~15、34~34~35)と仰られるのですね。


 その方、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来られても、
私たちが滅びてしまわないように、
イエスは、〔父である神〕の御思いに従って、
黙って、ひとことも逆らわずに、
むち打ちの刑を受けられ、
兵士たちの侮辱を受けられ、
ローマ総督ピラトの裁判を受けられ、
祭司長や役人、議員たちの
「十字架につけろ。十字架につけろ」との叫びによって、
「ユダヤ人の王」との罪状で
十字架刑での処刑に赴かれたのだそうです(ヨハネ19:1~16)。


 今は、イエスの十字架刑での処刑が完了し、
私たちすべての人間の肉、〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑済みのもの、死んだものとする道が開かれているのだそうです。


 そして、〔父である神〕は、
十字架刑で処刑され、
墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい復活のからだ、霊のからだに復活させ、
40日に渡って弟子たちに何度も現れさせ、
イエスが確かに生きていることを証明し、
神の国のことを語るようにされたのち、
オリーブ山から、弟子たちの見守る中、
ご自身の右の座に帰らせられたのだそうです。


 〔父である神〕は、そのイエスを通して、
受け入れる者にもう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、
この方によって、
私たち一人一人に思っておられる御思いを、
受け入れる者の心に置いてくださり、
受け入れる者が、ご自身と思いを一つにし、心を一つにして、
ご自身がしようと思われることをしていく者としてくださるのだそうです。
イエスがそうであったように。


 そして、私たちのための天の住まい、「父の家」の用意ができたとき、
イエスを二度目に派遣してくださって、
受け入れる者を迎えに来てくださり、
受け入れる者がいつもイエスのいるところにいる(ヨハネ14:1~3)
ようにしてくださるのだそうです。
神の子の栄光に包んで。


 〔父である神〕は、このように計画し、
私たちに、これを受け取り、
この事実の中を生きて行ってほしいと願っておられるのだそうです。
今日も。


(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)


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