soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

神をあらわす者へと

祝福のそよぎ


なぜ国々は言うのか。「彼らの神はどこにいるのか」と。
私たちの神は天にいまし、御旨のままにすべてを行われる。
               詩115:2~3(協)

イエスは言われた。
「私を見る者は、父を見ることになるのだ。」
               ヨハネ14:9(ドイツ)

日課:ガラテヤ2:16~21
通読:ヨハネ12:12~19
  ローズンゲン『日々の聖句』3/8(土)

———— α&ω  ————

 人間が考え出した神しか知らなかった私たちは思うの
ですね。「神なんかいない」と。
 しかし、聖書は言います。
「私たちの神は天にいまし、
み旨のままにすべてを行われる」と。
そして、イエスは言われます。
「私を見る者は、父なる神を見ることになるのだ」と。

 イエスは、自分からは何もせず、ただ、【父である神】の
思われることをし、話していった方なのですね。(ヨハネ6:38、8:28)

人の思いは、言葉化され、言葉として発せられて、
初めて分かります。
そのように、【父である神】の御思いが、イエスという
存在によって発せられて初めて人間に分かるように
なります。
イエスが「神のことば」、「ことばなる神」と呼ばれる理由
です。それでイエスは、「私を見る者は、父を見ることに
なるのだ」と言い、「わたしと父は一つだ」(ヨハネ⒑10:30)とおっしゃるのですね。

 使徒パウロは言います。
「人は律法を行うことによってではなく、
ただイエス・キリストを信じる(信頼する)ことによって
義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを
信じました(信頼しました)。
私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに
生きておられるのです。
今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、
私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する
信仰(信頼)によるのです。」(ガラテヤ2:16~20より)

 使徒ヨハネは記します。
過ぎ越しの祭りにエルサレムに来ていた大勢の群衆は、
イエスがエルサレムに来られると聞いて、なつめ椰子の枝を
持って迎えに出て行き、こう叫んだ。
「ホサナ。
祝福あれ、主の御名によって来られる方に。
イスラエルの王に。」
イエスはろばの子を見つけて、それに乗られた。
次のように(ゼカリヤ9:9)書かれているとおりである。
 「恐れるな、娘シオン。
 見よ、あなたの王が来られる。
 ろばの子に乗って。」
これらのことは、初め弟子たちには分からなかった。
しかし、イエスが栄光を受けられた後、これがイエスに
ついて書かれていたことで、それを人々がイエスに
行ったのだと、彼らは思いだした。

 さて、イエスがラザロを墓から呼び出して、死人の中から
よみがえらせたときにイエスと一緒にいた群衆は、
そのことを証しし続けていた。
群衆がイエスを出迎えたのは、イエスがこのしるしを
行われたことを聞いたからであった。(ヨハネ12:12~18)

 イエスが【父である神】がしようと思われたことを
そのとおりに行われた多くの御業、特に1週間ほど前に
死んで墓に納められ4日ほど経っていたラザロを
よみがえらせたことを聞いた多くの人々は、イエスをメシア
(キリスト)・ユダヤ人の王と認めて、エルサレムに
入って来られるイエスを、賛美しながら出迎えました。


 私たちも、聖書のことばを通して、このイエスが、
【父である神】と一つになっておられる方、そして、
ご自分の十字架刑での死において、私たちを処刑が終わった
者、死んだものとして死亡手続きを完了してくださっている
ことを知りました。

 そして、死んで墓に納められたイエスは、三日目、
日曜日の早朝、新しい霊のからだに復活し、40日に渡って
何度も弟子たちに現れたのち、オリーブ山で弟子たちが
見守る中、上げられ、天の【父である神】の右の座に帰られ
ました。

 そして今、もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる

方を私たちに派遣してくださって、
この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いによって、私たちが生きるようにしてくださいました。

 それで私たちは、〔生まれたときからの私〕という霊から
出て来る思いは、死んだ者から出てきた思いであると
認めて、これをイエスに差し出し、受け取ってもらい
ながら、この、【聖である霊】と呼ばれる方がうちに置いて
くださる【父である神】の御思いを実行していく生き方を
していくのですね。
イエスのように、「私を見たものは神を見たのです」と
言える生き方を。

今日も。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい
教会に行っていないけれど
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
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このお方に栄光と誉と力を

祝福のそよぎ

私の手は地の基を据え、私の右の手は天を押し広げた。
私が呼びかけると、それらは共に立ち上がる。
             イザヤ48:13(協) 

私たちの主、また神よ、あなたこそ栄光と誉と力を
受けるにふさわしい方。
あなたは万物を造られ、万物はあなたの御心によって
存在し、また造られたからです。黙示録4:11(協)
 

日課:Ⅰヨハネ1:8~2:2

通読:ヨハネ11:46~57
ローズンゲン『日々の聖句』3/5(木)

    ———— α&ω  ————

 天の神、主、「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は言われます。
「私の手は地の基を据え、私の右の手は天を押し広げた。
私が呼びかけると、それらは共に立ち上がる」と。

 それで、この方に向かって私たちは言うのですね。
「主よ、私たちの神よ。
あなたこそ
栄光と誉と力を受けるにふさわしい方。
あなたが万物を創造されました。
みこころのゆえに、それらは存在し、
また創造されたのです」と。

 この方は、私たち人間を、「われわれのような者、
われわれに似た者を造ろう」と思われて造られた
のだそうですね。(創世記1:26)
 「われわれ」、【父である神】と【御子である神】
そして【聖である霊】と呼ばれる方が、
愛において、自由意思で、自分から進んで、
自分の思いが相手のうちにあり、
相手の思いが自分のうちにある(ヨハネ17:21)ようにし、
自分の思いを成し遂げるよりも、
相手の思いが成るようにと願い合って(ヨハネ6:38)、
愛において思いを一つにしておられる方。
その一つの中に、自由意思で、
自分から進んで加わる者をと願って。
 

 それなのに、最初の人アダムとエバは、
この方と思いを一つにして生きる生き方を良しとしないで、
自分の理性を神とし、自分の理性による善悪の判断で
生きていく生き方を選び、神の創造の目的から
「的外れ」になってしまいました。(創世記3章)
そして、この「的外れ」はアダムとエバの子孫である
私たち全ての人間に遺伝しています。


 しかし、天の神、主はそのような私たちを
取り戻そうとしておられるのですね。

 それで、【父である神】は、預言しておられたとおりに
【御子である神】を人間イエスとしてこの人間の歴史の中に
派遣され、イエスがおよそ33歳のころ、このイエスに
すべての人間の「的外れ」の責任を負わせて、
十字架刑で処刑されました。
そして、このイエスの処刑に私たちを合体させ、
私たちの処刑が終わったものとし、
「的外れ」になっている私たちの〔生まれたときからの私〕
の死亡手続きを完了してくださいました。


 墓に納められたイエスは、三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、40日に渡って何度も
弟子たちに現れ、神の国のことを語り、ご自分が確かに
生きていることを証明したのち、オリーブ山で弟子たちが
見守る中、上げられ、天の【父である神】の右の座に復帰
されました。


 その10日後、五旬節(「ペンテコステ」 シナイ山で
モーセをとおして神とイスラエルの民との契約が結ばれた
その記念日)に、新しい契約としての【聖である霊】と
呼ばれる方が弟子たちに来られ(エレミヤ31:31~33、)
エゼキエル36:25~27)、弟子たちは、この方が
心に置いてくださる【父である神】の御思いのとおりに
行動するようになったのですね。(使徒2章)
 

 使徒ヨハネは言います。
「もし自分には罪がない(神の創造の目的からの「的外れ」
な生き方はない)と言うなら、私たちは自分自身を
欺いており、私たちのうちに真理はありません。
もし私たちが自分の罪、的外れな生き方をする者であること
を告白するなら、
神は真実で正しい方ですから、その罪(的外れな生き方)を
赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。
もし罪(的外れな生き方)をしたことがないと言うなら、
私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに
神のことばはありません。
私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、
あなたがたが罪(神の創造の目的から外れた生き方)を
犯さないようになるためです。
しかし、もしだれかが罪(的外れな生き方)を犯したなら、
私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、
義なるイエス・キリストがおられます。
この方こそ、私たちの罪(的外れな生き方)のための、
いや、私たちの罪だけではなく、世界全体の罪のための
なだめのささげ物です」と。(Ⅰヨハネ1:8~2:2)


 いみじくも、イエスを捕らえ、十字架にかけようと
している大祭司カヤパが、「一人の人が民に代わって
死んで、国民全体が滅びないですむほうが、
自分たちにとって得策だということを考えてもいない」と
言ったように、イエスは、ユダヤ国民のために、
また、ただ、ユダヤ国民のためだけではなく、
散らされている神の子らを一つに集めるために死なれた
のですから。(ヨハネ11:46~57より)
 

 だから私たちも、「的外れ」な〔生まれたときからの私〕
という霊から出て来る思いの一つひとつを
この方に聞いていただき、受け取っていただきながら、
【聖である霊】と呼ばれる方がうちに置いてくださる
この方の御思いで行動していくのですね。

「あなたこそ栄光と誉と力を受けるにふさわしい方です」と
賛美しながら。
今日も。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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あけぼのの光のような栄光に輝く

祝福のそよぎ

正しい人の進む道は、あけぼのの光のようだ。
いよいよ輝きを増して真昼となる。箴言4:18(改)

しかし、義のために苦しみを受けることがあっても、
あなたがたは幸いです。Ⅰペテロ3:14(協)

日課:ヤコブ4:1~10

通読:申命記31:1~8

    ローズンゲン『日々の聖句』2/26(木)


      ———— α&ω  ————

 義、天の神、主、「『わたしはある(I AM)』という者と
名乗られる方との正しい関係に生きようとするとき、
私たちは苦しみを受けることがあるのですね。
でも、それは幸いなことだとイエスはおっしゃられます。
やがて、あけぼのの光のように(ダニエル12:3)輝く
ことになるのだそうですから。

 人間的に見ればイエスの弟であるヤコブは言います。
「あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るので
しょうか。あなたがたのからだの中で戦う欲望から
出て来るのではありませんか。
あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、
人殺しをします。

熱望しても手に入れることができないと、
争ったり戦ったりします。
自分のものにならないのは、
あなたがたが求めないからです。
求めても得られないのは、自分の快楽のために使おうと、
悪い動機で求めるからです。
節操のない者たち。世を愛することは神に敵対することだと
分からないのですか。世の友となりたいと思う者は
だれでも、自分を神の敵としているのです。
それとも、聖書は意味もなく語っていると思いますか。
『神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、
ねたむほどに慕っておられる。
神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる』と。
それで、こう言われています。
『神は高ぶる者には敵対し、
へりくだった者には恵みを与える。』
ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
神に近づきなさい。
そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。
罪人たち(神の創造の目的からずれた生き方をしている者たち)、手をきよめなさい。
二心の者たち、心を清めなさい。
(心が二つに分かれている者たち、思いを単一にしなさい。)
嘆きなさい。悲しみなさい。泣きなさい。
あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えなさい。
主の御前でへりくだりなさい。
そうすれば、主があなたがたを高く上げてくださいます」
と。(ヤコブ4:1~10)

 また、約束の地を目の前にして、
モーセは全イスラエルの目の前でヨシュアに言います。
「強くあれ。雄々しくあれ。主がこの民の父祖たちに
与えると誓われた地に、彼らとともに入るのは
あなたであり、
それを彼らに受け継がせるのもあなたである。
主ご自身があなたに先立って進まれる。
主があなたとともにおられる。
主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。
恐れてはならない。おののいてはならない」と。
           (申命記31:7~8)
 私たちも、この神との信頼関係の中で生きようとする
とき、困難や苦しみに会うことがあります。
しかし、やがて、神は、御前で星のような栄光に輝かせて
くださるのだそうですから、そのときを望み見ながら、
思いを単一にして御前に出るのですね。
恐れながら、膝をガクガク言わせながら、泣きながら、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
【父である神】の御思いの中へ一歩踏み出して。

今日も。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

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