soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

でも、お言葉ですから、と

 イスラエルの人々は
主の命令によって旅立ち、
主の命令によって宿営した。民数記9:18


 シモン(ペテロ)の言葉:
先生、
私たちは、夜通し苦労しましたが、
何もとれませんでした。
しかし、お言葉ですから、
網を降ろしてみましょう。ルカ5:5


 イザヤ書43:8~13
 ヘブル書11:23~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/29;火)


 エジプトを脱出したイスラエルの人々は、
荒野を進む、出発するのも、
止まり、宿営するのも、
主の命令のとおりにしていったのだそうですね。


 シモン(イエスがつけたあだ名はペテロ〔石〕)は、
ガリラヤ湖の漁師だったのですね。
ガリラヤ湖では、夜、漁をしていたようです。
それで、その夜は、夜通し漁をしたのに何にも獲れなくて、
岸辺でむなしく網を洗っていたのだそうです。


 そこへイエスが来られ、群衆が集まったので、
シモン(ペテロ)の舟に乗って、少し漕ぎ出し、
集まった群衆に話をされたのだそうです。


 そして、話が終わったとき、
イエスがシモンに
「深みに漕ぎ出して、網を降ろして魚をとりなさい」
と言われたのだそうです。
それで、シモンは答えたのだそうです。
「先生。私たちは、夜通し働きましたが、
何一つとれませんでした」と。


 このときのシモンの気持ちは、
「イエス様。あなたは、
神の国のことや大工のことなら詳しいのでしょうが、
魚をとることについては素人でしょう。
長年、このガリラヤ湖で漁師をしている私たちが、
一番いい時間に、
ここぞと思う場所で網を降ろしたのに、
何にも獲れなかったのですよ。
この真昼間に、
そのあたりの適当なところに網を降ろしたって、
魚が取れるわけはないでしょう」って感じだったのでしょうね。


 それで終わったら、それだけでした。
けれども、シモンは言ったのですね。
「でも、おことばどおり、網を降ろしてみましょう」と。


 そして、イエスのことばのとおりにすると、
たくさんの魚が入り、網は破れそうになったのだそうです。


 それを見たシモン・ペテロは、
イエスの足もとにひれ伏して、
「主よ。私のような者から離れてください。
私は罪深い人間ですから」と言ったのだそうです。


 すると、イエスは、
「こわがらなくてもよい。
これから後、あなたは人間をとるようになるのです」と言われ、
彼らは、舟を陸に着けると、
何もかも捨てて、イエスに従ったのだそうです(ルカ5:1~11)。
イエスがその方であることを感じて。


 その、天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方が言われます。
「彼らのうちのだれが、
このこと
(直接的にはイスラエルの民がバビロンの捕囚から解放されて
帰って来ることでしょうか。
さらには、今、世界中に離散している民が
イスラエルへ帰って来ることも。イザヤ43:5~7)
を告げ、
先の事をわれわれに聞かせることができようか」と。


 そして「あなたがたわたしの証人、
わたしが選んだわたしのしもべである。
これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、
わたしがその者であることを悟るためだ。
わたしより前に造られた神はなく、わたしより後にもない。
わたし、このわたしが、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」であって、
わたしのほかに救い主はいない。


 このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。
あなたがたのうちに、異なる神はなかった。
だから、あなたがたはわたしの証人。
 ――主の御告げ―― 
わたしは神だ。
これから後もわたしは神だ。
わたしの手から救い出せる者はなく、
わたしが事を行なえば、だれがそれを戻しえよう」(イザヤ43:10~13)、と。


 そして、この方への信頼において、
モーセは生れてから、両親によって三ヶ月の間隠されていました。
エジプトの王、パロからは
イスラエル人の男の子が生まれたたら、
すぐにナイル川に投げ込めと命令されていたのに。


 この方への信頼において、
モーセは成人したとき、パロ(王)の娘の子
(葦のかごに入れて、ナイル川の葦の茂みに置かれたモーセを、
水浴びに来たパロの娘が見つけ、
自分の子として育てた。出エジプト2:1~10)
と呼ばれることを拒み、
はかない罪の楽しみを受けるよりは、
むしろ神の民とともに苦しむことを選び取り、
エジプトを立ち去りました。
目に見えない方を見るようにして、忍び通して。


 この方への信頼によって、
初子を滅ぼす者が彼らに触れることがないように、
彼らは過ぎ越と血の注ぎとを行いました。


 この方への信頼によって、
彼らはかわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。


 この方への信頼によって、
人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁は崩れ落ちました。


 この方への信頼によって、
エリコの町の遊女ラハブは、
偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、
エリコの町の不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。


 私たちも、この方を信頼して、イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いのとおりに、踏み出してみる、ついて行ってみるのですね。
ペテロのように、
「私にはそうは思えません。でも、おことばですから」と。
今日も。


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