soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

「父」が思われる良い働き、善い言葉を語る者に

 私の受けた苦痛は平和のために他ならない。
あなたは私の魂に思いを寄せ、
滅びの穴に陥らないようにされた。
私の罪を全て、後ろに投げ捨てられた。イザヤ書38:17


 私たちを愛して
慰めと希望を与えられる
主キリストと父なる神が、
あなたがたの心を励まし、強め、
善い働きと
言葉を語るものとしてくださるように。Ⅱテサロニケ2:16~17


 ヨナ書2:1~11
 アモス書8:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句6/16;土)


 ユダの王、ヒゼキヤは病気になって、
天の神、主から、
「あなたの家を整理せよ。あなたは死ぬ。直らない」と言われ、
顔を壁に向け、主に祈って言ったのだそうです。


 「ああ、主よ。どうか思い出してください。
私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、
あなたがよいとみられることを行ってきたことを。」


 こうして、ヒゼキヤは大声で泣いたのだそうです。
それで、天の神、主は、
「わたしはあなたの祈りを聞いた。
あなたの涙も見た。
見よ。わたしはあなたの寿命にもう15年を加えよう」
と言ってくださったのだそうです(イザヤ38:1~6)。


 そして、病気から回復したとき、このように歌ったのですね。
私たちも、いろいろなことで苦しみ、苦痛を受けますが、
それを、そのままに、天の神、主に訴えていくとき、
私たちはこの方をもっともっと深く体験し、
この方との深い交わりに進むことができるようです。


 そして、
「わたしの受けた苦痛、苦しみは平和、平安のためでした」と言うように。
天の神、主が、私のことを思っていてくださり、
私の罪のすべてを、
御子イエスによって、
ご自身のうしろに投げ捨てていてくださることが分かるのだそうですから。


 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」名乗られる方は、
私たちを愛して、
私たちに、恵みによって永遠の慰めとすばらしい望み、
天の神、主と共に生きる新しい生き方を与えてくださっているのだそうです。


 御子イエスの十字架刑での死によって、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知るように」なって(創世記3:5、22)、
神にそむき、対立、対抗している〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑済み、死んだものとしてくださって、ご自身のうしろに投げ捨てられ、


 このイエスを通して、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって、
私たちの心に
〔父である神〕が、私たち、それぞれに思っておられる御思いを
置いてくださり、


 私たちが〔父である神〕と同じ思いを思い、
一つ心にしていただけて、
〔父である神〕が私を通してしようと思われることを
していくようにしてくださるのだそうですから。


 〔父である神〕が、
私を通してしようと思われる良い働き、良いわざ、
〔父である神〕が語ろうとしておられる良い言葉を語る者に(ヨハネ8:28、12:50)。



 私たち、自分が順調なときには、
天の神、主を忘れ、さまよい出て行く者ですが、


困難な出来事、苦しみによって
魂が衰え果てたとき、
天の神、主を思いだし(ヨナ2:1~7)、
主を呼び、
この新しい生き方に立ち返ることができるようですね。


 天の神、主は、私たちの心の中を見ておられ(アモス8:4~6)、
イエスによって実現した恵みを用意して、
私たちがご自身に立ち返るのを待っていてくださるのだそうですから。
ご自身と思いを一つにし、心を一つにして生きてほしいと。
今日も。


(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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