soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

主を知るようになるのだそうです。聖である霊と呼ばれる方が、私たちの心に、御思いを思わせて下さるので。

モーセへの主の言葉:
民を集めなさい。わたしの言葉を聞かせ、彼らが地上に生きる限り、わたしを畏れることを学び、又、それを子らに教える事ができるようにしよう。申命記4:10
 バルナバはアンティオキアに到着すると、神の恵みが与えられたありさまを見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることがないようにと、皆に勧めた。使徒11:23
...
      (ローズンゲン日々の聖句8/11;火)
 モーセを通して結ばれた旧い契約は、天の神、主のお心が文字として石の板に、あるいは羊皮紙に記され、それを自分の力で守っていくために、学び、教えていくものでした。
 けれども、天の神、主と思いを一つにしていく生き方を嫌い、善悪を知る者、善悪を天の神、主に相談しないで、自分の判断だけで決定し、その決定に他の者を従わせようとする生き方を選んだ人間は、表面上は守っているようにふるまえても、その心は、自分の考えを優先し、自分かってな道を進むばかりだったのですね。
 天の神、主は、そのそむきが極まり、ついに、御自分の民を打ち、エルサレムも神殿も敵の手に渡してしまおうとされるそのとき、新しい契約の預言を与えて下さったのだそうです。
それは次のようなものでした。
 「見よ。その日が来る。――主のみ告げ―― その日、わたしはイスラエルとユダの家とに、新しい契約を結ぶ。その契約は、わたしが彼らの先祖の手を握って、エジプトの国から連れ出した日に、彼らと結んだ契約のようではない。わたしは彼らの主であったのに、彼らはわたしの契約を破ってしまった。――主の御告げ――
 彼らの時代の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうだ。――主のみ告げ―― わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
 そのようにして、人々はもはや、『主を知れ』と言って、おのおの互いに教えない。それは、彼らがみな、身分の低い者から高い者まで、わたしを知るからだ。
――主のみ告げ―― わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ(エレミヤ31:31~34 新改訳)。
 そして、このことは、新しい霊を与えていただき、新しい心にしていただいて成って行くことのようですね。天の神、主は、預言者エゼキエルを通して次のように預言しておられます。
 「わたしがきよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、あなたがたはすべての汚れからきよめられる。わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめ、あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。わたしはあなたがたのからだから石の心を取り除き、あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け、わたしのおきてに従って歩ませ、わたしの定めを守り行わせる」(エゼキエル36:25~27)。
 この預言は、600年ほど後、イエスの誕生と十字架刑による死、三日目、日曜日の早朝のイエスの復活、40日後のオリーブ山からの昇天、その10日後、旧い契約が結ばれたその記念日であるペンテコステ(5旬節)の朝、120人ほどの弟子たちが集まっていたその時、イエスの約束の言葉のとおりに、聖である霊と呼ばれる、もう一人の方が弟子たち一人一人の内に来られて、弟子たち一人ひとりの心に働きかけられたので、弟子たちはこの方が話させて下さるとおりに話し出し(使徒2:4)、預言されていたあの新しい契約が具体的に、この歴史の中に実現したのだそうです。
 この、新しい契約、聖である霊と呼ばれる方が来て下さって、天の父と呼ばれる方が思っていらっしゃる、一人ひとりに関わる御思いを、一人ひとりの心に書きしるし、思わせて下さるという約束は、恵みとして、天の神、主からのプレゼントとしてすべての人に提供されているのだそうです。
 天の神、主は、一人ひとりがこれを受け取り、この事実を体験しながら一日一日を歩み、この事実から離れないように、通り過ぎてしまわないように、体験し続けるようにと願っておられるのだそうです。
 今日も。


イメージ 1





[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



 





 



[269RANKのランキングサイト]



 



"哲学・思想 ブログランキングへ"

×

非ログインユーザーとして返信する