soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

汚れた服を脱がせ、新しい晴れ着を着せようと

 わたしはお前の罪を取り去った。
晴れ着を着せてもらいなさい。ゼカリヤ書3:4


 息子は言った。
「私は天とお父さんに対して罪を犯しました。
息子と呼ばれる資格はありません。」


 父親は僕たちに言った。
「急いで一番良い服をこの子に着せ、
手に指輪をはめてやり、
足に履物を履かせなさい。」ルカ15:21~22


 マタイ12:15~21
 Ⅰヨハネ3:11~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/24;金)


 サタンは、
天の神、主の御前で、
大祭司ヨシュアの式服が汚れているのを指摘するのですが、
天の神、主は言われたのだそうです。


 「彼の汚れた服を脱がせよ。
見よ。わたしは、あなたの不義を取り除いた。
あなたに礼服を着せよう」(新改訳)。



 イエスは話されたのですね。
自分の相続するはずの財産を、今、欲しいと父親に要求し、
その財産を金に換えて遠い国に旅立ってしまい、
放蕩して財産のすべてを使い尽くし、
食べるものもなく、落ちぶれて帰って来た息子を、


 父親は、遠くから見つけて、走り寄り、
彼を抱き、口づけして、僕たちに言いつけた。
「急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。
手に指輪をはめさせ、
足にくつをはかせなさい。
そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。
食べて祝おうではないか。」



 イエスは、
私たちの、「的外れ」で汚れた服を脱がせ、
新しい晴れ着を着せてくださるために、
預言者イザヤが言っている、
「これぞ、わたしの選んだわたしのしもべ、
わたしの心の喜ぶわたしの愛する者。


 わたしは彼の上にわたしの霊を置き、
彼は異邦人に公義を宣べ伝える。
争うこともなく、
叫ぶこともせず、
大路でその声を聞くこともない。
彼は痛んだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともない、
公義を勝利に導くまでは。
異邦人は彼に望みをかける」
その方として、来られたのだそうです。


 それで、ユダヤ人の指導者、パリサイ人たちが
イエスを殺そうと相談しているとき、
これと対抗し争うのではなく、そこを立ち去られ、
また、病気をいやした人たちには、
ご自分のことを人々に知らせないようにと命じられたようです(マタイ12:15~21)。


 争うためにではなく、
彼らも含めた、私たちすべての人間のために、
ご自分のいのちをお捨てになり(Ⅰヨハネ3:16)、
悪魔から出た者である、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている(創世記3:5、22)
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を、
処刑されたもの、死んだものとして脱がせてくださるために。


そして、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣して、
この方によって、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを
私たちの心に置き、着せて、
受け入れる者が〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにして生きる、
神から出た思いで生きる、
神から生まれた者として、
新しい服を着た者としてくださるために。



 〔聖である霊〕と呼ばれる方が心に置いてくださる
〔父である神〕から出た御思いによって、
私たちの心の中にも、
互いに愛し合う、
兄弟姉妹のために、いのちを捨てる思いも
来るようになるのだそうです。


 死からいのちに移っている者(Ⅰヨハネ3:11~16)。
新しい晴れ着、
〔父である神」の御思い、
イエスの義を着せていただいている者として。
今日も。


(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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