soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

望みを置いて恥を受けることのない、信頼できる、大丈夫な方。この方は

あなたに望みを置く者は誰も、
決して恥を受けることはありません。
人を欺く者が恥を受けるのです。詩25:3



 私たちの身に全く安らぎがなく、
ことごとに苦しんでいました。
しかし、気落ちした者を力づけてくださる神は、
テトスの到来によって
私たちを慰めてくださいました。Ⅱコリント7:5~6



 民数記24:15~17a(17b~19)
 創世記3:1~13(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句1/8;火)




 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方を信頼し、
この方に望みを置く者は、
それが裏切られて恥を受けるというようなことは決してない、のですね。




 この方は真実な方、
「あろうと思われるとおりにある」ことができる方なのですから。




 そして、気落ちした者を慰めてくださる方。


 だから、私たちは
苦しみに遭い、気落ちしていても大丈夫なのですね。
神が慰めてくださるのですから。




 そして、蛇(サタン)によってかかとにかみつかれるけれど、
サタンの頭を踏み砕く「女の子孫」(創世記3:15)として来られたイエスが、
やがては、ヤコブから上った一つの星、
イスラエルから起こった1本の杖(民数記24:17)として再び来られて、
正義と公正をもって世を治められる日が来る(黙示録20:1~6)
のだそうですから。




 私たちもこの方に望みを置き、
〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る
この方の御思いのとおりに生きることを願っていって、
大丈夫なのですね。


今日も。



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