神から来る誉れを待ち望みながら
見よ、
主にささげられたこの都が
再建される日が来る、
と主は言われる。エレミヤ書31:38
人々は、
諸国の民の栄光と誉れを携えて
都に来る。黙示録21:26
申命記33:1~4(7、12~16)
ロマ書2:17~29(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句1/26;土)
主にささげられたこの都、
エルサレムが再建される日が来る、
と天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は言われるのですね。
諸国の民が、都の光によって歩み、
地の王たちはその栄光を携えて都に来る。
都の門は一日中決して閉じることがない。
そこには夜がないからである。
こうして、人々は
諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る(黙示録21:24~26新改訳)
ようになるのだそうですから。
モーセが、その死を前にして、
イスラエル人を祝福した言葉のように。
「主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は
シナイから来られ、
セイルから彼らを照らし、
パランの山から光を放ち、
メリバテ・カデシュから近づかれた。
その右の手からは、
彼らにいなずまがきらめいていた。
まことに国々の民を愛する方、
あなたの御手のうちに、すべての聖徒たちがいる。
彼らはあなたの足もとに集められ、
あなたの御告げを受ける。
モーセは、みおしえを私たちに命じ、
ヤコブの会衆の所有とした」(申命記33:1~4)と。
そして、外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、
外見上のからだの割礼が割礼なのでもなく、
かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、
文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ
真の割礼であり、
その誉れは、人からではなく、神から来るのですから。
私たちも、イエスにあって、
その時を、
その都を望み見ながら。
今日も。
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また、教会に行っていないけれど、葬儀はキリスト教で、等の
お問い合わせもどうぞ。)
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