soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

預言のことばのとおりに

今、わたし(イエス)はエルサレムに上って行く。
人の子(イエスご自身のこと)について
預言者が書いたことはみな実現する。ルカ18:31(3/3の週の聖句)


 主は貧しい人の右に立ち、
死に定める裁きから救ってくださいます。詩109:31


 彼らがしつこく問い続けるので、
イエスは身を起こして言われた。
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
まず、この女に石を投げなさい。」ヨハネ8:7


 マルコ8:31~38
 詩62
   (ローズンゲン日々の聖句3/3;Ⅰ日曜)




 イエスは弟子たちに話されました。
これから上って行くエルサレムで、
キリストについて預言者が預言していることはみな、
ご自身に実現する、と。


 「人の子は必ず多くの苦しみを受け、
長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、
殺され、三日の後によみがえらなければならない」(マルコ8:31)
と書かれているとおりに。


 そのように、天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が、
預言者を通して私たちについて預言していることもみな、
実現するのですね。


 最後の時、私たちはひとりひとり、
天の神、主の前に立ち、
自分の生き方について申し開きをすることになるのだそうですが、
その時、イエスは、私たちに右に立ってくださり、
ご自身が私たちの身代わりとなって受けていてくださる
処罰済みの事実をもって弁護してくださり、
死に定める裁きから私たちを救ってくださるのだそうです。
あの時のように。


 ある時、イエスがエルサレム神殿で教えておられると、
自分たちは正しい者だとしている律法学者やパリサイ人が、
姦淫の現場で捕らえられた女性をイエスの前に突き出し、
イエスにしつこく迫って言ったのだそうです。


 「モーセは律法の中で、
こういう女を石打ち(石を投げつけて殺す死刑の方法)に
するよう命じています。
ところで、あなたはなんと言われますか」と。


 イエスは、
「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、
まず、最初に、この女に石を投げなさい」と言われ、
身をかがめて、地面に指で書いておられたのだそうです。


 すると、彼らは、年長者たちから始めて、
ひとりひとり出て行き、イエスがひとり残されたのだそうです。


 イエスは、その女に言われた。
「婦人よ。あの人たちは今どこにいますか。
あなたを罪に定める者はなかったのですか。」彼女は言った。
「だれもいません。」そこでイエスは言われた。
「わたしもあなたを罪に定めない。
行きなさい。
今からは決して罪を犯してはなりません」(ヨハネ8:1~11)、と。


 それで、私たちもダビデのようにうたうのですね。
私のたましいは黙って、ただ神を待ち望む。
私の救いは神から来る。
神こそ、わが岩、わが救い、わがやぐら。
私は決してゆるがされない。
私のたましいは黙って、神を待ち望む。
私の望みは神から来るからだ。
私の救いと、私の栄光は、神にかかっている。
私の力の岩と避け所は、神のうちにある。
民よ。どんなときにも、神に信頼せよ。
あなたがたの心を神の前に注ぎだせ。
神はわれらの避けどころである。


 まことに、身分の低い人々はむなしく、
高い人々は偽りだ。
はかりにかけると、彼らは上に上がる。
彼らを合わせても、息よりも軽い。
圧政にたよるな。
略奪にむなしい望みをかけるな。
富がふえても、それに心を留めるな。
神は、一度告げられた。
二度、私はそれを聞いた。
力は、神のものであることを。
主よ。恵みもあなたのものです。
あなたは、そのしわざに応じて、
人に報いられます(詩篇62:1~2、5~12新改訳)、と。


 預言のことばのとおりに、
エルサレムに上り、
十字架刑での処刑を受けられ、
墓に葬られ、
三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、
オリーブ山で弟子たちの見守る中、
天に上げられ、
〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。


 私たちの右に立ち、
死に定める裁きから私たちを救ってくださる
この方に向かって。
この新しい週も。


(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。
また、ご家族などで、教会に行っていないけれど、葬儀はキリスト教で、等の
お問い合わせもどうぞ。)


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