soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

神の御業、その威光を見るように、と

主よ、
あなたの僕らが御業を仰ぎ、
子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。詩90:16




 空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だがあなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。
あなたがたは
鳥よりも価値のあるものではないか。マタイ6:26



 Ⅱコリント13:3~9
 サムエル記上17:1~30(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/22;金)



 私たちは、
天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の御業、
その御威光の中で生きているですね。




 天の神、主は、
私たち人間を創造しようと思い立たれたとき、
人間を創造するのに先立って、
まず、私たち人間の住む場所を用意してくださったのだそうです。


私たち人間が困らないように、
喜びと幸せの中で生きられるように、と。


 天の神、主は、この大宇宙と地球を創造し、
6日間かけて、この地球の環境を整えて下さり、
種類にしたがって植物を生じさせ、
また、種類にしたがって動物を創造し、
すべての環境が整ったところで最初の人、アダムとエバを創造し、
彼らをエデンの園に置かれたのだそうです(創世記1:1~2:24)。


 そして、天の神、主は、
「生めよ。ふえよ。地を満たせ」とおっしゃられて、
この二人から、
私たち人間が地の全面にふえ広がるようにしてくださったのだそうです。


 それで、空の鳥が天の神、主によって養われているように、
私たち人間も、
天の神、主が用意してくださった御業、
その御威光の中で生きているのですね。
私たちがそれを認めるか、認めないかに関わらず。


 最初の人、アダムとエバは、
天の神、主によって、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」
との願いで造られたのだそうです(創世記1:26)。



 けれども、アダムとエバは、
〔父である神〕、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が、
愛において、
心と思いを一つにし、
行動を共にし、存在を一つにしておられる、
その、「神のかたち、神に似せられた」場にとどまることを善しとせず、
もっと素晴らしい者に、
神のようになろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ように(創世記3:5、22)なったのだそうです。




 天の神、主に相談することなく、
天の神、主と心を一つにすることなく、
自分一人の理性の判断で善し悪しを決定する者に。




 私たち、すべての人間は
このアダムとエバの性質を受け継いで、
「的外れ」な者として生まれて来ているのですね。




天の神、主は、
その、「的外れ」になっている私たち人間を廃棄処分にすることを望まず、
なお、慈しみ、愛し、大切に思っていてくださるのだそうです。




それで、私たち人間を、
創造の最初の目的のとおりに回復しようと計画してくださったのだそうです。




イエスが言われた、
「それは父よ、
あなたがわたしにおられ、
わたしがあなたにいるように、
彼らもわたしたちにおるようになり、
わたしたちが一つであるように、
彼らがみな(わたしたちと)一つになるためです」(ヨハネ17:21~22新改訳)
のことばのとおりに。




 ご計画の時が満ちて、
〔御子である神〕は、
〔父である神〕の御心に従い、
天の、栄光の座を後にして、
「女の子孫」(創世記3:15)として、
ダビデの子孫であるナザレ村の一処女、
マリヤの胎を通して人となられ、
およそ、33歳の頃、
私たちすべての人間の身代わりとなり、
「神に呪われた者」となって、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。


 〔父である神〕は、
この、イエスが受けられた処刑において、
私たち自身である、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑されたもの、死んだものと手続きしてくださるのだそうです。


 そのうえで、
死んで墓に葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日に渡って何度も弟子たちに現れさせ、
神の国について語らせたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
ご自身の右の座に復帰させられたのですね。


 そして、このイエスを通して
もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。


 この方を私たちのうちに住まわせ、
この方によって私たちを覆い、
私たちの心に、
ご自身が私たち一人一人に思っていてくださる御思いを
置いてくださるのだそうですから
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。
ご自身の御思いが私たちの心にあるようにと。


 「神のことば」である
イエス・キリストが内におられる者に(Ⅱコリント13:5)、と。


〔父である神〕の御思いに満たされ、
〔父である神〕がしようと思われること(ヨハネ14:12)が実現するのを、
その御威光を見る者に。
神の養いの中で。
今日も。


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