soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

天が、喜び祝い、地が、喜び躍る、その出来事の中へ

天よ、喜び祝え、
地よ、喜び躍れ。
国々にふれて言え、
主こそ王と。歴代誌上16:31


 天上のもの、
地上のもの、
地下のものがすべて、
イエスの御名にひざまずきます。フィリピ書2:10


 Ⅰペトロ5:1~5
 マタイ13:24~30、36~43(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/5;木)


 イエスは神の御姿である方なのに、
神のあり方を捨てられないとは考えず、
ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、
人間と同じようになられました。


 人としての性質をもって現れ、
自分を卑しくし、
死にまで従い、
実に十字架の死にまでも従われました。


 それゆえ【父である神】は、この方を高く上げて、
すべての名にまさる名をお与えになりました。


 それで、イエスの御名によって、
天にあるもの、地にあるもの、
地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、ひざまずき、
すべての口が、「イエスは主である」と告白して、
【父なる神】がほめたたえることになるのだそうです(ピリピ2:6~11新改訳)。


 そのとき、天は、喜び祝い、
地は、喜び躍り、
国々の民は言うようになるのだそうです。
「【主】、「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方こそ
私たちの王である、と。


 そのとき、
〔生まれたときからの私〕という霊をから出てくる思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
イエスの前に投げ捨て、
【聖である霊】と呼ばれる方によって、御思いを心に置いていただき、
この方と心を一つにして歩んでいた者は、
しぼむことのない栄光の冠を受けることになるのだそうです。
神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられる方ですから(Ⅰペテロ5:1~5)。


 世の終わりには、毒麦の穂は集められて火で焼かれ、
天の神、主とのあるべき関係の中を生きた人たちは、
御国で太陽のように輝く(マタイ13:24~30、36~43)、のだそうですから。


 私たちも、
このことにかなう者にしてくださった
イエスのみわざをほめたたえながら。
今日も。


(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、


等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉




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