力ある者を助けるのも、力のない者を助けるのも、盲人を見えるようにするのも、同じな方が
主よ、あなたは
力のある者にも無力な者にも
分け隔てなく助けを与えてくださいます。歴代誌下14:10
パウロの手紙:
だから、
キリストの力が私の内に宿るように、
むしろ大いに喜んで
自分の弱さを誇りましょう。Ⅱコリント12:9
使徒27:16~25
マタイ20:29~34(通読箇所)
(ローズンゲン日々聖句10/4;金)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
力の強い者を助けるのも、
力のない者を助けるのも、
変りがない方。
この方の力は、
私たちの弱さのうちに完全に現れるのだそうですから。
だから、イエス・キリストの力が私をおおうために、
むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょうと
使徒パウロは言うのですね。
エルサレムで捕らえられたパウロ。
ローマ皇帝の裁判を受けるため
船でローマへ護送途中、嵐に遭い、
太陽も星も見えない日が幾日も続き、
激しい暴風が吹きまくるので、
助かる最後の望みも絶たれようとしていたのだそうです。
誰も長いこと食事をとっていなかったのですが、
そのとき、囚人のパウロが皆に言ったのだそうです。
「皆さん。元気を出しなさい。
あなたがたのうち、いのちを失う者はひとりもありません。
昨夜、私の主で、私の仕えている神の御使いが、
私の前に立ってこう言いました。
『恐れてはいけません。パウロ。
あなたは必ずカイザル(ローマ皇帝)の前に立ちます。
そして、神はあなたと同船している人々をみな、
あなたにお与えになったのです。』
ですから、皆さん、元気を出しなさい。
すべて私に告げられたとおりになると、
私は神によって信じています。
私たちは必ず、どこかの島に打ち上げられます」(使徒27:16~25新改訳)。
そして、14日目、
天の神、主は、
船は失われたけれど、
彼ら全員をマルタ島に上がるようにされたのだそうです。
エリコ街道でのこと、
道ばたに座っていたふたりの盲人が、
イエスが通られると聞いて
「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ」と
叫び続けたのだそうです。
群衆は彼らを黙らせようとして、たしなめたのですが、
彼らはますます、
「主よ。私たちをあわれんでください。ダビデの子よ」と
叫びたてたのだそうです。
イエスは立ち止まって、彼らを呼んで言われたのですね。
「わたしに何をしてほしいのか」と。
彼らが、「主よ。この目をあけていただきたいのです」と言うと、
イエスはかわいそうに思われ、
彼らの目にさわられると、
すぐさま彼らは見えるようになり、
イエスについて行った(マタイ20:29~34)のだそうです。
力ある者を助けるのも、
目の見えないものを見えるようにするのも、
神にとっては変わりないのだそうですから。
私たちにも、
今日も。
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