soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

確固とした、確信のある行動は

自分の神を知る者は、
確固として行動する。ダニエル書11:32



 イエスの言葉:
あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。
人々が、あなたがたの立派な行いを見て、
あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。マタイ5:16



 出エジプト記15:22~27
 ヨブ記8:1~22(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句10/28;金)



 自分の思いで立っている者は、
周りに影響され、右に左に揺れます。


 しかし、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方の御思いに立っている者は
確固として固く立ち事を行います。



 自分の思いで行動する者は自分の栄光を求めます。
しかし、私たちを今ある場に置いていて下さる方、
天の神、【主】の御思いによって行動している者は、
天の神、【主】の栄光を求めるのですね(ヨハネ7:18)。



 ですから、人々の前に輝かす立派な良い行い、
それは私自身による行いではなく、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る、
【父である神】の御思いによって起こされた行動、ということなのでしょうね。



 私の、〔生まれたときからの私〕という霊から出て来た思いは、
イエスの受けて下さった十字架刑で処刑された者、
死んだものから出て来た思いであると認めて、
イエスの御前に差し出しながら。



 だから自分を誇ることはできなくて、
天の父をあがめるようになるのでしょうね。




 イスラエルの民はエジプトを脱出して葦の海を渡り、
シュルの荒野を三日間歩いたのですが、
飲む水が見つからなかったのだそうです。


 そして、マラに来たのですが、
マラの水は苦くて飲むことができなかったのだそうです。
それで、民はモーセに
「何を飲んだらよいのか」と不平を言いつぶやいたので、
モーセは自分で何とかしようとすることはできないで、
天の神、【主】に叫び、
【主】は一本の木をモーセに示され、
モーセがその木を水に投げ入れると、
水は甘くなり、飲めるようになったのだそうです(出エジプト15:22~27)。



 私たちは、きのう生まれたような者、
その知るところはほんの一部で、
地上にある日々は影、
その確信はくもの糸のようなもの(ヨブ8:9、14)であることを認めて、
モーセのように神に叫び、
神の御思いをいただいて行動するのですね。



 【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださるのだそうですから。


今日も。



(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、


等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉




イメージ 1


[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]


[https://blog.with2.net/link/?1470390人気ブログランキングへ]

×

非ログインユーザーとして返信する