soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

私たちへの判決は、すべて、御子イエスの上に下して

裁判に当たって、
偏(かたよ)り見ることがあってはならない。
身分の上下を問わず、等しく事情を聞くべきである。
人の顔色をうかがってはならない。
裁判は神に属することだからである。申命記1:17



 あなたがたは、自分の裁(さば)く裁きで裁かれ、
自分が量(はか)る秤(はかり)で量り与えられる。マタイ7:1~2



 イザヤ書25:1~8
 イザヤ書44:21~28(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句12/9;月)



 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、公正な方。
人の顔色をうかがったり、人を偏り見ることのない方。
身分の上下を問わず、等しく、同じようによく聞いてくださる方。



 自分の、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになって、
創造の目的から「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊の理性による善し悪しの判断は、
イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて
死んだものとしていただいていることを認め、



 十字架刑での処刑を受けて死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して来てくださる、
【聖である霊】と呼ばれる方。


 この方が受け入れる者の心に置いてくださる
【父である神】の御思いをいただいていくなら、
公正な裁判をすることができるようですね。



 また、天の神、【主】は、
私たちが裁く、その基準で私たちを裁かれ、
私たちが量るそのはかりで量り与えられる方なのだそうですから。



 万軍の【主】は、
この山(シオンの山、エルサレム)の上で万民のために、
あぶらの多い肉の宴会、良いぶどう酒の宴会、
髄の多いあぶらみと
よくこされたぶどう酒の宴会を催される。
この山の上で、
万民の上をおおっている顔おおいと、
万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、
永久に死を滅ぼされる。
神である主はすべての顔から涙をぬぐい、
ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる、(イザヤ25:6~8)
のだそうですから。



 また、言われます。
ヤコブよ。これらのことを覚えよ。
イスラエルよ。あなたはわたしのしもべ。
わたしがあなたを造り上げた。
あなたは、わたし自身のしもべだ。
イスラエルよ。
あなたはわたしに忘れられることがない。
わたしは、あなたのそむきの罪を雲のように、
あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。
わたしに帰れ。
わたしは、あなたを贖(あがな)ったからだ」(イザヤ44:21~22)、と。



 【父である神】は、この山(シオンの山、エルサレム)で、
人間イエスとなられた【御子である神】を、
公正な裁きにおいては死刑を執行されるしかない私たちに代わって、
神に背き、神に呪われた者として
十字架刑で処刑されるという宴会を催し、
私たちの「的外れ」を雲のように、かすみのように
ぬぐい去っていてくださるのだそうですから。



 私たちが、【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生まれた者となり、
ご自身と一つ心になって生きる者になってほしいと。
今日も。



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お問い合わせは、
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