soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

約束の言葉は、この方によって、ことごとく「ほんとう」、「事実」となったのですから

わたしはあなたの上に目を注ぐ。詩32:8



 天使は言った。
「マリア、恐れることはない。
あなたは神から恵みをいただいた。」ルカ1:30



 Ⅱコリント1:18~22
 イザヤ書49:14~26(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句12/18;水)



 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちひとりひとりに目を留め、
目を注いでいてくださる方なのですね。



 2000年ほど前のこと、
ガリラヤ地方のナザレに住む、貧しい一人の処女
マリヤにも目を留めておられて。
約束の言葉のとおりに
すべての人間の救いの実現のために人となられる
イエスの母にしようされたように。



 このイエスによって神の約束の預言はことごとく
「しかり」、「ほんとう」、「事実」となったのですから(Ⅱコリント1:20)。



 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方が言われたこの言葉のとおりも。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとい、女たちが忘れても、
このわたしはあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。
あなたの城壁はいつもわたしの目の前にある。
あなたの子どもたちは急いで来る。
あなたを滅ぼし、あなたを廃墟とした者は、
あなたのところから出て行く。
目を上げて、あたりを見回せ。
彼らはみな集まって、あなたのところに来る。
わたしは生きている。――主の御告げ――
あなたは必ず、彼らをみな飾り物として身につけ、
花嫁のように彼らを結ぶ。
必ず、あなたの廃墟と荒れ跡と滅びた地は、
いまに、人が住むには狭すぎるようになり、
あなたを滅ぼした者たちは
遠くへ離れ去る。
あなたが子を失って後に生まれた子らが、
再びあなたの耳に言おう。
『この場所は、私には狭すぎる。
私が住めるように場所をあけてもらいたい』と。
そのとき、あなたは心の中で言おう。
『だれが私に、この者たちを
産んでくれたのだろう。
私は子に死なれた女、うまずめ、
亡命のさすらい者であったのに。
だれがこの者たちを育てたのだろう。
見よ。私は、ただひとり、残されていたのに、
この者たちはどこから来たのだろう。』
わたしを待ち望む者は恥を見ることがない。
すべての者が、
わたしが【主】、あなたの救い主、あなたの贖(あなな)い主、
ヤコブの力強い者であることを知る。」(イザヤ書49:15~21、23、26新改訳)



 この方が、私たちにも目を留め、
「しかり」「ほんとう」となっていてくださって。
今日も。



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等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



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