soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

だれが、みじめな、この死のからだから私を救い出してくれるのでしょうか、との悩みに答えて

私の神よ、私の神よ、
なぜ私をお見捨てになるのか。
なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。詩22:2



 ペトロは牢に入れられていた。
教会では彼のために
熱心な祈りが神にささげられていた。使徒12:5



 ロマ書7:14~25a
 Ⅰコリント12:12~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/28;金)



 【神の御子】である方、イエスが、
十字架刑での処刑を受けられた時、
【父である神】にこのように叫ばれたのだそうです。
「わが神、わが神、
どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)、と。



 けれども、このとき、
【父である神】は、何もお答えになりませんでした。



 ペテロが、ヘロデ王によって捕らえられ、牢に入れられ、
明日は民衆の前に引き出され、処刑されようとしていたとき、
教会では彼のために熱心な祈りが
神にささげられていたのだそうです。



 このとき、【父である神】は、御使いを遣わし、
ペテロを牢から連れ出されたのですね。



 パウロは言います。
「私は、自分のうちには善が住んでいないことを知っています。
私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、
実行できないからです。
私は、したいと願う善を行わないで、
したくない悪を行っています。
私はほんとうにみじめな人間です。
だれがこの死のからだから、
私を救い出してくれるでしょうか」(ロマ7:18~20、24)、と。 



 【父である神】は、
この、【御子である神】イエスが見捨てられてくださったことによって
私たちの罪、「的外れ」の責任が果たされたものとし、
私たちの、私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わった者、死んだものとしてくださるのだそうです。



 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちの内にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを同じくし、
ご自身と心を一つにして生きる者に、
【霊】によって新しく生まれた者にし、
私たちを、
この死のからだから救い出してくださっているのだそうです。



 私たちは、一人ひとり、皆、違いますが、
私たちのからだの部分が、それぞれ、違っていながら、
脳によって一つの意思の下で動いているように、



父である神】は、


【受け入れた者をイエス・キリストのからだの一部分とし、
【父である神】と一つ思いになっておられるイエスを頭(脳)として、
イエスの御思いと一つ思いになって、一つ意志で動く、
それぞれを、ユニークな、独特の、唯一無二の、
キリストのからだの部分としていてくださるのだそうです。(Ⅰコリント12:12~26)



 パウロの悩み、願いに応えて。
私たちにも。
今日も。



(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、


教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、


等の方、
お問い合わせは、
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)



〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉



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