soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

生き生きとした希望に生きるようにと。天地の造られる前から、あの方。


主よ、あなたは私たちの父です。
 「私たちの贖(あがな)い主」
 これは永遠の昔からあなたの御名です。
イザヤ書63:16
私たちの主イエス・キリストの父である神がほめ称えられますように。
神は豊かな憐れみにより、私たちを新たに生まれさせ、
 死者の中からのイエス・キリストの復活によって、
 生き生きとした希望を与えられた
。Ⅰペテロ1:3

      (ローズンゲン日々の聖句9/30;水)
 私たち、すべての人間の父となろうと願われ、罪のもとにさまよい出た私たち、一人一人を、代価を支払って買い戻そうと計画された方。永遠の昔から。
 天と地が造られる前、天の神、主が、人を造ろうと思い立たれたとき、「われわれのかたちとして、我々に似せ」(創世記Ⅰ:26)たものを、と思われたのだそうです。
 「御父」と「御子」と「御霊」、あるいは「聖である霊」と呼ばれる方が、それぞれ、全知であり、全能であり、永遠・不変の方でありながら、互いに愛し合っておられるゆえに、自発的に、自分から進んで一つになっておられる。
御父は御子に、御霊と呼ばれる方に、ご自分の思っておられることを全部明かしておられ、御子と御霊は、御父を愛し、尊敬するゆえに、御父の御思いが成ることをひたすら願っておられ、心を一つにしておられるのだそうです (ヨハネ8:28、12:49~50、16:13)。
その、一つになっておられるかたちを現すもの、似たものをと望まれ、願われたのだそうです。
 けれども、問題がありました。
愛し合うゆえに、自由意思で、自発的に、一つに加わって欲しいのだそうですが、人間は、その自由意思で、愛し合い、心を一つにしているよりも、自分がトップになり、自分一人の理性の判断で善悪を決定する者になろうとするであろうことが。
 それで、御子である方が提案されたのですね。
「もし、人間がそのような生き方を選び取ったときは、わたしが、人間となり、人の世に降って、人間の罪を負い、わたしのいのちを贖い(買い戻し)の代価として差し出しましょう」と。
 そして、御霊あるいは聖である霊と呼ばれている方が、「では、わたしが、あなたの贖い(買い戻し)を受け取った者の内に行って、御父の御思いをその心に置き、御父と一つ思いを思う者にしましょう」(エレミヤ31:34、エゼキエル36:26~27)と。
 これらのことが確認されて、「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)ということになり、その人の住む場所として、この天地、宇宙、この地球の自然環境が造られ、用意されることになったのだそうです(創世記1:1~25)。
 人間は、予想どおり、天の神、主と一つになっていることよりも、自分の理性の判断を最優先させて、自分一人で善悪を決める、トップの座に自分を置こうとする者の道をえらんだのだそうです(創世記3:1~22)。
 それで、ご計画の時が満ちて、今から2000年ほど前、御子である方が、人間イエスとして、処女マリヤの胎を通して、人の世に生まれられ、およそ、33歳のころ、十字架刑で処刑されてくださり、墓に葬られ、三日目、日曜日の早朝、復活なさったのだそうです。
天の神、主は、このイエスの処刑を、「善悪を知る者」になり、ご自身からさまよい出ている、私たち全ての人間、一人一人の「生まれたときからの霊」の処刑とみなしてくださり、これを受け取った者の内に、新たに「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって、この方の働きによって、ご自身と思いを一つにし、行動を一つにし、栄光を一つにする者にと、新しく生まれた者としてくださるのだそうです(ヨハネ3:1~8)。
 私たち、イエスの十字架刑での処刑を、私の処刑としていただき、聖である霊と呼ばれる方をお迎えして、「父である神」と呼ばれる方が、私を通してしようと思っておられることをしていく、栄光に富んだ、生き生きとした生き方をさせていただけるのだそうですね。
今日も。

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