soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

苦しみ、試みによって、神は、私たちの心にある思いを明らかにされ

あなたの神、主がこの40年の間、
荒れ野であなたを導いた、
すべての道のりを思い起こしなさい。
主はあなたを苦しめ、試み、
あなたの心にあるもの、
すなわちその戒めを守るかどうかを
知ろうとされた。申命記8:2


イエスは言われた:
わたしは柔和で
心のへりくだったものだから、
わたしの軛(くびき)を負い、
わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に
安らぎが得られる。マタイ11:29


 Ⅰヨハネ1:8~2:2
 ヨハネ13:12~20(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/17;木)


     ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちを苦しめ、試みることで、
私たちの心の内にある思いを明らかにされる方のようです。
私たちの心のうちに、
ご自身と思いを一つにして歩もうとする思いがあるかどうかを。


そして、わたしたちが、自分の内に、神と思いを一つにして
歩もうと思う思いがないことを知ったならば、
ないものを絞り出そうとするのではなく、
イエスを求めなさいと言われるのですね。


イエスは、柔和で心のへりくだった方。
イエスの軛(くびき)、束縛は、軽く、安心なのだそうですから。


自分が、ご自分と心を一つにして生きる者を造ろうとの、
神の創造の目的から「的外れ」の、
神のひとりのようになり、
自分の理性で判断した善悪の判断で生きようとする者となって、
神と対立、対抗する者になっていることを
認めようとしない者は、自分自身を欺(あざむ)いており、
その人のうちに真理はない、と、ヨハネは言うのですね。


もし私たちが自分の罪、「的外れ」な者であることを認め、
神に告白するなら、神は真実で正しい方であるから
その罪、「的外れ」な存在であることを赦し、
私たちをすべての不義からきよめ、
【聖である霊】と呼ばれる方によって
神と思いを一つにして生きる者、
神の創造の目的に合致した生き方をするように
してくださるのですから。



だから、罪を犯したことがないと言い、
このイエスがいのちをかけて完了した新しい生き方を
不要とし、受け取ろうとしない者は、
神を偽り者とすることなのですね。


このイエスの死と復活によって完了した救いの手続きを
してもらった者は、「的外れ」な生き方の中に
とどまり続けることはできなくなります。


その、以前の生き方をしてしまっても、
御父の前でとりなしてくださる方、
義なるイエス・キリストがおられますから。


この方こそ、私たちの罪のための、
全世界の罪のための宥(なだ)めのささげ物と
なっていてくださる方なのですから。(Ⅰヨハネ1:8~2:2)





 ご自分が【父である神】に帰る時が
間近になっていることを思われたイエスは、
夕食の席から立ち上がり、
弟子たち一人ひとりの足を洗われました。
洗い終わって、イエスは上着を着て再び席に着き、
弟子たちに言われました。


「わたしがあなたがたに何をしたのか分かりますか。
あなたがたはわたしを『先生』とか『主』と呼んでいます。
そう言うのは正しいことです。そのとおりなのですから。


主であり、師であるこのわたしが、
あなたがたの足を洗ったのであれば、あなたがたもまた、
互いに足を洗い合わなければなりません。
わたしがあなたがたにしたとおりに、
あなたがたもするようにと、あなたがたに模範を示したのです。


まことに、まことに、あなたがたに言います。
しもべは主人にまさらず、
遣(つか)わされた者は遣わした者にまさりません。


これらのことが分かっているなら、
そして、それを行うなら、あなたがたは幸いです。


わたしは、あなたがたすべてについて
言っているのではありません。
わたしは、自分が選んだ者たちを知っています。


けれども、聖書に
『わたしのパンを食べている者が、
わたしに向かって、かかとを上げます』と書いてあることは
成就するのです。


事が起こる前に、今からあなたがたに言っておきます。
起こったときに、わたしが『わたしはある(I am)』であることを、
あなたがたが信じるためです。


まことに、まことに、あなたがたに言います。
わたしが遣(つか)わす者を受け入れる者は、
わたしを受け入れるのです。
そして、わたしを受け入れる者は、
わたしを遣(つか)わされた方を
受け入れるのです。」(ヨハネ3:12~20)




 私たち、苦しみや試みによって、自分の心のうちに
神と思いを一つにしようという思いがないことを知ったなら、
自分がそういう「的外れ」な者であることを認めて、
イエスを求めればいいのですね。
柔和で、へりくだった方であるイエスを。


イエスは、【父である神】のご計画のとおりに、
十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たち、すべての人間の罪、「的外れ」のための
宥(なだ)めのささげ物となって、
私たちを、処刑が終わっている者、死んだものとしてくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来ても
大丈夫なようにしてくださっているのですから。


【父である神】は、この、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心にご自身の思いを置き、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにしてくださり、
私たちがご自身と一つ思いになって生きるように
していてくださるのですから。


御心が天でなっているように、
地にいるこの私にも成りますように、と。


今日も。




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