soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

神が私たちに下さる、新しい契約の生き方を生きて

あなたがたが今日までしてきたように、
主に、あなたがたの神に
忠実であれ。ヨシュア記23:8


何事かを自分のしたことと考える資格は、
私たちにはありません。
私たちの資格は
神からのものです。Ⅱコリント3:5


 イザヤ書66:6~13(14)
 Ⅰヨハネ2:1~6(通読所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/27;水)



      ―――― ☆ ――――



 私たちも、聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)を私の神とし、
この方に忠実でありたいと願うのですね。


私たちが自分の力で何事かをしたということではなく、
神がわたしたちを、
新しい契約で生きる者にしてくださるのですから。


自分の力で、神の御思いのように生きていくことでは
落第であった私たちに、
神は【神の霊】とか【聖である霊】とか呼ばれる方を
お遣わしくださって、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
書き記してくださって、
私たちに心にご自身に御思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにしながら生きるという、
新しい生き方を生きる者にしてくださるのですから(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)。





 この方、天の神、【主】は、
預言者イザヤを通して預言して言われます。



「都(エルサレム)から騒ぎが、
宮(エルサレム神殿)から声が聞こえる。
敵に報復する【主】の御声が。



『彼女は産みの苦しみが来る前に産み、
陣痛が来る前に男の子を産み落とす。
だれが、このようなことを聞き、
だれが、これらのことを見たか。
地は一日の苦しみで産み出されるだろうか。
国は一瞬にして生まれるだろうか。


ところが、シオン(エルサレム)は、産みの苦しみと同時に
子たちを産む。 
わたしが胎を開きながら
産ませないだろうか。
——【主】は言われる——
わたしは産ませる者なのに
胎を閉ざすだろうか。
——あなたの神は仰せられる。』



エルサレムとともに喜べ。
すべて彼女を愛する者よ、彼女とともに楽しめ。
すべて彼女のために悲しむ者よ。
彼女とともに喜び喜べ。
あなたが彼女の慰めの乳房から飲んで満ち足り、
その豊かな乳房から吸って喜びを得るために。


【主】はこう言われる。
『見よ。わたしは川のように繁栄を彼女に与え、
あふれる流れのように国々の栄光を与える。
あなたがたは乳を飲み、
脇に抱かれ、膝(ひざ)の上でかわいがられる。
母に慰められる者のように、
わたしはあなたがたを慰める。
エルサレムであなたがたは慰められる。
あなたがたがこれを見るとき、その心は喜び、
骨は若草のように生き返る。
【主】の手はそのしもべたちに知られる。
その憤(いきどお)りは敵たちに。』」(イザヤ66:6~14)



12使徒の一人、ヨハネの手紙は続きます。
「私の子どもたち。
私がこれらのことを書き送るのは、
あなたがたが罪を犯さないようになるためです。


しかし、もし誰かが罪を犯したなら、
私たちには、御父(みちち)の前でとりなしてくださる方、
義なるイエス・キリストがおられます。


この方こそ、私たちの罪のための、
いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための
宥(なだ)めのささげ物です。


もし私たちが神の命令を守っているなら、
それによって、自分が神を知っていることが分かります。
神を知っていると言いながら、その命令を守っていない人は、
偽り者であり、その人のうちに真理はありません。
しかし、だれでも神のことばを守っているなら、
その人のうちに神の愛が確かに全うされているのです。
それによって、自分が神のうちにいることが分かります。
神のうちにとどまっているという人は、
自分もイエスが歩まれたように歩まなければなりません。」(Ⅰヨハネ2:1~6)



 イエスが、私たちすべての人間の身代わりとなって
十字架刑での死刑を受けとおされ、
死んで墓に納められ、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活された今は、



そして、イエスは、40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたのち、
天の【父である神】の右の座に復帰されました。



そしてその位(くらい)にあって、
約束の【聖である霊】を私たちにお遣わしくださいました。


この方は、私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださり、
私たちが【父である神】と一つ思いになって生きる
新しい契約の生き方を生きさせてくださいます。


罪(的外れ)の生き方から、
神と思いを一つにしながら生きる
義なる、的(まと)の当たった、
神の創造の目的(創世記1:26)に合った生き方へと。


私たちを、今日も。



(聖書のことばへの疑問やご意見、
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