soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

一つの国が始まっているのだそうです。私たちのただ中に。

 

天の神は一つの国を興されます。

  この国は永遠に滅びることはない。ダニエル書244


 預言者ヨハネの手紙:

私は、天で大きな声が次のように言うのを聞いた。

  「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。

    神のメシアの権威が現れた。」黙示録1218


        (ローズンゲン日々の聖句4/18;月)


 バビロンの王、ネブガデネザルが夢の中で見た巨大な像(ダニエル2章)。

その像は、頭は純金、胸と両腕とは銀、腹とももとは青銅、すねは鉄、足は一部が鉄、一部が粘土だったのだそうです。

そして、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを砕いたのだそうです。


ダニエルをとおしての解き明かしによると、その部分は、それぞれ、ネブカデネザル王のバビロン、次におこるメディアとペルシャ、第3の王国ギリシャ、そして第4のローマ帝国を指すようですね。


 そして、この王たちの時代に、天の神は一つの国を起こされるのだそうですね。

永遠に続く国を。


 世界の歴史はこの預言のとおりに進んで、それから600年余り後の西暦紀元30年頃のこと、ちょうど、扇風機の羽をつなぐ軸の部分のように、アジアとヨーロッパとアフリカ大陸をつなぐ地、イスラエル、その首都エルサレムでローマ兵により、一人の男が十字架刑で処刑されたのだそうです。


 それは、ユダヤの大事な祭り、過ぎ越しの祭の特別に大事な安息日の前日、金曜日のことで、十字架につけられたのは朝の9時頃、そして、息を引き取られたのは午後3時頃のことだったそうです。


 この男が、息を引き取るとき「すべてが終わった」(ヨハネ1930口語訳)と言ったのだそうです。

「すべてが終わった」、「The End」、これでおしまいのはずだったのです。

パウロがⅠコリント28で言っているように、この世の支配者はみんなそう思ったのでしょうね。


 ところが、これこそが、その預言の、「永遠に続く一つの国」の始まりだったのだそうです。

 「すべてが終わった」は、「完了した」(新改訳)、「成し遂げられた」(新共同訳)であって、人間の救いのためにキリスト(救い主)がしなければならなかった手続きの全部がここに「完了した」、「成し遂げられた」ことだったのだそうです。


 マリヤを母として生まれた、ナザレ村出身のひとりの男、イエスの十字架刑での処刑によって始まった一つの国。

 イエスによって派遣されるもう一人の方。

「聖である霊」と呼ばれる方が受け入れる者の内に来られて、受け入れる者の心に「父である神」の、私たち人間の人一人に思っていらっしゃる御思いを書き付け、受け入れる者が「父である神」と同じ思いを思う、一つ思いになって生きるという、自由意思による、自発的な、愛による統治、永遠の神の国が受け入れる者一人一人に来る(ルカ1120、エゼキエル362528)のだそうですね。

今日も。

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