soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

顔を見、声を聞き、話しかけられるのですね。この方と。いつも、いつまでも。

命のある限り、恵みと慈しみはいつも私を追う。
主の家に私は帰り、生涯、そこにとどまるであろう。詩編23:6


 私たちすべてのために、

その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、
御子と一緒にすべてのものを
私たちに賜らないはずがありましょうか。ロマ8:32



              (ローズンゲン日々の聖句5/28;木)



 御子を下さり、すべてのものを一緒に下さっているのだそうです。
だから、誰も私たちを行きづまらせきることはできないのだそうです。



 イエスの十字架刑での処刑を私の処刑として下さっていることを受け取った者を訴えるものがあっても、

天の神、主は、イエスの義をその人の義と認めて下さるのだそうです。
 罪に定めようとするものがあっても、私たちの罪を背負って十字架刑で処刑され、

よみがえって神の右の座に着いておられる方が、この者は既に処刑済みであると弁護して下さるのだそうです。
 私たちを、イエス・キリストの愛から引き離そうとするものがあっても、

私たちは、私たちを愛して下さった方によって、

それらすべてに対して圧倒的な勝利者とならせて下さるのだそうです。



 命の日の限り、恵みと慈しみが追って来て、

いつまでも、神であり主である方と一緒にいるようにして下さるのだそうです。
今日も。


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