soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

約束の言葉のとおりに、変わることなく

 主の慈しみは、
  主の契約を守る人、
   命令を心に留めて行う人に及ぶ。詩編103:17~18

 イエス・キリストは、
きのうも今日も、
また永遠に変わることのない方です。ヘブル書13:8

      (ローズンゲン日々の聖句6/25;土)

 人は、草のように、野の花のように過ぎ去るのですね。
だから、人が考え出したさまざまな新しい教え、異なった教えに心を向ける必要はないのだそうです。

 詩編の作者は謳います。

「わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての咎(とが)を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖(あがな)い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。

主はすべてしいたげられている人々のために、
正義とさばきを行われる。
主は、ご自身の道をモーセに、
そのみわざをイスラエルの子らに示された。
主は、あわれみ深く、情け深い。
怒るのにおそく、恵み豊かである。
主は、絶えず争ってはおられない。
いつまでも、怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず、
私たちの咎に従って
私たちに報いることもない。
天が地上はるかに高いように、
御恵みは、主を畏れる者の上に大きい。
東が西から遠く離れているように、
私たちのそむきの罪を私たちから遠く離される。
父がその子をあわれむように、
主はご自身を恐れる者をあわれまれる。
主は、私たちの成り立ちを知り、
私たちがちりにすぎないことを
心に留めておられる。

人の日は、草のよう。
野の花のように咲く。
風がそこを過ぎ去ると、それは、もはやない。
その場所すら、それを、知らない。
しかし、主の恵みは、とこしえから、とこしえまで、
主を恐れる者の上にある。
主の義はその子らの子に及び、
主の契約を守る者、
その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ」(詩篇103:1~18新改訳)と。


私たちにも。
今日も。

×

非ログインユーザーとして返信する