soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

天の神、主をわが力として

聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。
主の栄光は、地をすべて覆う。
イザヤ書6:3(今週の聖句)


 私の主なる神は、わが力。ハバクク書3:19


 だから、私たちは落胆しません。
たとえ私たちの「外なる人」は衰えていくとしても、
私たちの内なる人は日々新たにされていきます
。Ⅱコリント4:16


        (ローズンゲン日々の聖句5/31;日)


 天の神、主は、栄光につつまれた御座に座しておられる方。
預言者イザヤが見た幻では、その方の前でセラフィムと呼ばれる天使たちが賛美の声をあげていたのだそうです。


 私たち人間は、この方々と一つ栄光につつまれる者にと望まれて造られた者(創世記1:26)なのだそうですが、高ぶりのせい自分の力により頼む者になり、今は、この方のもとから迷い出てしまって、栄光を失い、この身体も土の器のようになり、弱いものになってしまっているのだそうです。


 けれども、天の神、主は、私たち人間を取り戻そうとして下さり、御子である方を人間イエスとして人の世に生れさせ、この方がおよそ33歳の頃、私たちすべての人間の身代わりとして立て、十字架刑で処刑し、私たち、すべての人間のそむきの罪の処刑が終っているものと手続きして下さったのだそうです。


 そして、この方によって、私たち、すべての人間のそむきの罪の処罰を終えた上で、天の神、主は、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を、この方を受け入れる者のうちに派遣して下さって、私たち、人間を新しく生まれる者として下さるのだそうです(ヨハネ3:3~15)。


 この方は、私たちの内にあって、私たち一人ひとりの心に、天の神、主が私たち一人ひとりに思っていらっしゃる御思いを置いて下さって、私たちが、私たち一人ひとりの部分において、天の神、主と思いを一つにしながら生きるようにして下さるのだそうです。



 それは、ちょうど、風が吹くようなもののようなのだそうです。風は思いのままに吹き、私たちはその音を聞くけれども、それがどこから来てどこへ行くかしらないように、聖である霊と呼ばれる方によって新しく生まれる者も、そのようなのだそうです(ヨハネ3:8)。


 私たちの外なる人、肉体や精神は衰え、弱り果てて行くとしても、内側の、この、聖である霊と呼ばれる方によって生きていく新しい人は日々に新たにされていくのだそうです。
むしろ、私たちの外なる人がおとろ、弱くなるほどに、内なる人が生き生きと働いて下さるようになるのだそうです。

 そして、主イエスをよみがえらせた方が、私たちをも主イエスと共によみがえらせてくださり、共に、天の神、主の栄光の御座の前に立たせて下さるのだそうですから。


 地震や大波のとどろき、民族は民族に敵対し、あちこちに戦争のうわさ、自然界も世の中もなんだか不安を駆りたてるような最近の状況ですが、この望み、この永遠の世界につながる新しい生き方で、この方を我が力として生きるように、と天の神、主は仰っておられるようですね。
 この新しい週も。

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