soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

命と息と、すべてのものを与えていて下さる方によって

御言葉によって天は造られ、

  主の口の息吹によって天の万象は造られた。詩編33:6




 神は何か足りないことでもあるかのように、

人の手によって仕えてもらう必要がありません。

すべての人に

命と息と、その他すべてのものを与えてくださるのは、

この神だからです。使徒17:25




      (ローズンゲン日々の聖句7/25;月)




 詩篇33篇の作者は謳います。

「主のことばによって、天は造られた。

天の万象もすべて、御口のいぶきによって。

主は海の水をせきのように集め、深い水を倉に収められる。

全地よ。主を恐れよ。

世界に住む者よ。みな、主の前におののけ。




まことに、主が仰せられると、そのようになり、

主が命じられると、それは堅く立つ。

主は国々のはかりごとを無効にし、

国々の民の計画をむなしくされる。

主のはかりごとはとこしえに立ち、

御心の計画は代々に至る。




幸いなことよ。

主をおのれの神とする、その国は。

神が、ご自身のものとしてお選びになった、その民は(詩篇33:6~12新改訳)と。







 使徒パウロはアテネのアレオパゴスの真ん中に立って答えたのだそうです。

「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、

天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません。

また、何かに不自由なことでもあるかのように、人の手によって仕えられる必要はありません。神は、すべての人に、いのちと息と万物とをお与えになった方だからです。




 神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の前面に住まわせ、

それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。

これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。




 神は、神を、人間の技術や工夫で造った金や銀や石などの像と同じものと考える無知の時代を、見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。




 なぜなら、神は、お立てになった一人の人(イエス)により義をもってこの世界をさばくため、日を決めておられるからです。




 そして、その方を死者の中からよみがえらせることによって、このことの確証をすべての人にお与えになったのです(使徒17:24~31)と。







 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方に、「このおびただしいあなたの民をさばくことができるように、善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください」と願う若きソロモンに、正しくさばく知恵を与えられた方は(列王上3:16~28)、




人が地に種を蒔くと、夜は寝、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出し、育ち、穂が出、穂の中に実が入り、収穫のときが来るように、神の国、ご自身の支配を私たちに実現してくださるのだそうです。

今日も。


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