soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

国々の中で、あなたに感謝をささげ、御名をほめたたえます

 国々の中で、

  私はあなたに感謝をささげ、

     御名をほめ歌う。詩編18:50




 パウロは、

全く自由に何の妨げもなく、神の国を宣べ伝え、

主イエス・キリストについて教え続けた。使徒28:31




 ヤコブ書5:13~16

 マルコ9:30~37

      (ローズンゲン日々の聖句8/18;木)




 天の神、主は、敵から助け出し、

立ち向かう者から引き上げ、

暴虐の者から救い出される方。

「それゆえ、主よ。

私は、国々の中であなたをほめたたえ、あなたの御名を、ほめ歌います」と、ダビデ王はうたうのですね。




 パウロも、エルサレムで、同じ国の者から命を狙われ、殺されるところを治安維持にあたっていたローマ兵によって保護されたのだそうです。




 それで、同国人から、死刑にするよう訴えられたのですが、パウロは、ローマ市民権をもっていたので、皇帝に上訴することで難を逃れ、ローマに護送され、ローマ皇帝の裁判を受けることになったのだそうです。

 この時は、満2年の間、捕らわれの身で、足には鎖がつけられ、ローマ皇帝の親衛隊が見張っている中ではありましたが、

自分の借りた家で、自由に、今までのように同国人からの迫害で妨げられることもなく、訪ねて来る人々に神の国を宣べ伝え、イエスについて教えることができたのだそうです。




 そればかりか、パウロが捕えられているのは、イエス・キリストのゆえであることが、およそ9000人ほどいる親衛隊の全員と、そのほかの人々にも明らかになったのだそうです(ピリピ1:13)。







 イエスは、だれが一番偉いかと論じあっている12弟子に、言われたのだそうです。

「だれでも人の先に立ちたいと思うなら、

みなのしんがりとなり、みなに仕える者になりなさい」と。




 そして、ひとりの子どもを連れて来て、

「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。

また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです」(マルコ9:33~37)と。







 イエスの弟で、おそらくは、イエスの十字架刑での処刑以後にイエスをキリストと信じるようになったヤコブは言います。

「あなたがたのうちに苦しんでいる人がいますか。

その人は祈りなさい。

喜んでいる人がいますか。

その人は賛美しなさい。

病気の人がいますか。

その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。

主はその人を立たせてくださいます。

また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。

ですから、あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい。

いやされるためです。

義人の祈りは働くと、大きな力があります」(ヤコブ5:13~16)と。




それで、感謝をささげ、御名をほめ歌うのですね

今日も。


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