思いわずらいの一つ一つを心にかけていて下さる方に
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださる。Ⅰペテロ5:7
(9/4の週の聖句)
私たちの神は、救いの御業の神、
死から解き放つ主なる神。詩編68:21
夕方になって日が沈むと、
人々は、病人や悪霊に取りつかれた者を皆、
イエスのもとに連れて来た。マルコ1:32
マタイ6:25~34
詩編127
(ローズンゲン日々の聖句9/4;日)
私たちが、天の神、主と呼ばれている方を認めなかったときは、
自分の責任は自分で取らなければならないと考え、
問題は自分で解決しなければならない、
頼りになるのは自分だけだと思っていました。
そして、自分の力に余る出来事に出合うと思い煩うことになっていたようです。
けれども、私たち、どんなに思い煩ったからと言っても、
自分の頭の毛1本を抜け落ちないようにすることもできないし、
心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすこともできないのですね(マタイ10:30、6:27)。
天の神、主、「わたしはあるという者」とおっしゃる方は、
私たち一人一人を心にかけていてくださり、
日々、私たちのために、重荷をになわれ、
死を免れさせてくださっている方なのだそうです。
イエスも、人々が連れて来た、さまざまな病気にかかっている多くの人をいやし、多くの悪霊を追い出されたのだそうです(マルコ1:32~33)。
種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に収めることもしない、空の鳥を養っておられる方、
働きもせず、紡ぎもしない野のゆり、
きょうあっても、明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、
これほどに装って下さる方は、
私たちに、食べるもの、着るものを用意していてくださり、
必要なときに、必要に応じて与えてくださるのだそうです。
だから、何を食べようか、何を着ようかと心配するのはやめて、「神の御支配と、神の義とを、まず第一に求めていけば、それに加えて、生活に必要なものはすべて与えていただけるのだそうです(マタイ6:25~34)。
主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。
主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。
あなたがたが早く起きるのも、おそく休むのも、
辛苦の糧を食べるのも、それはむなしい。
主は愛する者には、眠っている間に、このように備えてくださる
(詩編127:1~2新改訳)。
私たちのことを心にかけていてくださる方は、
思い煩いを自分一人で抱え込んでいないで、
その一つひとつを「わたしに話しなさい、知らせなさい」と言っておられるようですね。
心を一つにして、一緒に歩もうよと。
この新しい週も。
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