soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

地の果てまで、すべての人が

地の果てまで


  すべての人が主を認めますように。詩編Psalms22:28





 その光は、まことの光で、


世に来てすべての人を照らすのである。ヨハネJohn1:9





 イザヤ書Isaiah7:10~14


 ルカLuke1:57~66


      (ローズンゲン日々の聖句12/23;金祝)
 




 初めから「父である神」と共におられた「御子」である神、


神の「ことば」と呼ばれる方。





 すべてのものはこの方によって創造されたのだそうです。


この宇宙の星々も、この地球の自然界も、そして人間も。


この方によらないでできたものは一つもないのだそうです。
 




 この方にはいのちがあって、そのいのちは人の光なのだそうです。
 
そして、そのいのちの光である、御子である神が、


すべての人を照らし、いのちを与えるために、


天の栄光の座を後にして、人となり、人の世に来られたのだそうです(ヨハネJohn1:1~9)。





 「女の子孫」として(創世記Genesis3:15)、


最初の人アダムの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となった(創世記Genesis3:5、22)


そむきの性質を受け継がないように、男との関係を持っていない処女の胎を通して。
 




 イエスが生まれる700年ほど前のこと、


天の神、主は、預言者イザヤを通して預言しておられます。





「さあ、聞け。ダビデの家よ。


あなたがたは、人々を煩わすのは小さなこととし、私の神までも煩わせるのか。


それゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるし(証拠としての奇跡)を与えられる。





見よ。処女がみごもっている。


そして男の子を産み、


その名を『インマヌエル(神は私たちとともにおられる)』と名づけられる」と(イザヤIsaiah7:13~14)。
 




 あの、ナザレ村出身のイエス、


ベツレヘムで、ダビデの子孫である処女マリヤを母として生まれ、


およそ33歳の頃、ローマ兵によって十字架刑で処刑されたあのイエスこそ、


御子である神、まことの光である方、救い主であると、


地の果て果てまですべての人が認め、受け入れて、いのちを得るようにと、


天の神、主は願っておられるのだそうです。
 




 この、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、


「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている


私たち自身である「生まれたときからの霊」を


処刑されたもの、死んだものとしていただき、


イエスが派遣してくださるもう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、


この方によって、


「父である神」が一人ひとりに思っておられる御思いを心に置いていただいて、


「父である神」とl思いを一つにし、心を一つにして生きていって欲しいと。





「われわれのかたちに、われわれに似た者に」(創世記Genesis1:26)、





「父である神」が「御子イエス」におり、「御子イエスが「父なる神」におるように、


受け入れる者が「父なる神」、「御子イエス」におり、


「父なる神」、「御子イエス」が受け入れる者におり、





「父なる神」、「御子イエス」、「聖である霊」と呼ばれる方が一つであるように、


「父なる神」、「御子イエス」、「聖である霊」と呼ばれる方と


地の果てまでのすべての人が、


これを受け入れ、一つになって生きるように(ヨハネJohn17:21~23)、と。


今日も。



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