失われたものを捜し出して救うために来られた方が
「彼らを恐れるな。
わたしがあなたと共にいて、
必ず救い出す」と主は言われる。エレミヤ書1:8
人の子は失われたものを捜して
救うために来たのである。ルカ19:10
Ⅰヨハネ4:11~16a
ルカ2:36~40
(ローズンゲン日々の聖句12/29;木)
神の御子である方が、
天の栄光の座を後にして、
人となって、人の世に来られたのは、
良い人、自分で立派にやっていけている人を招くためにではないのだそうです。
むしろ、迷い出て、自分では帰ることもできない、
その失われたものを探し出して救うために来られたのだそうです。
それで、イエスは、まわりの人からは、眉をひそめられ、
「あの人は罪人のところに行って客となった」と批判されることも恐れず、
エリコの町の取税人のかしらザアカイの家に泊まられたのだそうです。
「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」と、自分から声をかけられて。
天の神、主、「わたしはある」という者と名乗られる方は、このような愛をもって
私たちひとり一人を愛していてくださるのだそうです。
そして、もっと愛し合い、もっと一つになりたいと願っておられるのだそうです。
それで、御子である方が、人間イエスとなって人の世に来てくださり、
自分からすすんで、私たちすべての人間のすべてのそむきの責任を
ご自身に負って十字架刑での処刑を受けてくださって、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、
私たちの「生まれたときからの霊」を処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。
そして、御子イエスは、これを受け入れ、死んだものとしていただいた人たちに、
もう一人の助け主、「聖である霊」とか「御霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、
受け入れた人たちが神のうちにおり、神が受け入れた人たちのうちにおられる、受
け入れた人の思いが神の思いの中にあり、
神の思いが受け入れた人の中にあるようにしてくださるのだそうです(Ⅰヨハネ4:11~16)。
「聖である霊」と呼ばれる方によって、神の愛の思いが受け入れる者の心に来て、
受け入れた者同士が、「失われたものを捜しだして救う」神の御思いをもって
愛し合うようにしてくださるのだそうです。
今日も。
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