soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

憐れみを受ける者にしていただいて

 わたしに尋ねようとしない者にも尋ね出される者となり、


わたしを求めようとしない者にも見出される者となった。イザヤ書65:1 





 神はあなたがたを暗やみの中から


驚くべき光の中へと招き入れてくださいました。


あなたがたは「かつては神の民ではなかったが、


今は神の民であり、


憐れみを受けなかったが、


今は憐れみを受けている」のです。Ⅰペテロ2:9~10


 Ⅰコリント1:26~31


 ルカ10:21~24(通読箇所)


  (ローズンゲン日々の聖句2/18:土)





 天の神、主は言われます。
 
 わたしは、わたしの名を呼び求めなかった国民に向かって、


「わたしはここだ、わたしはここだ」と言った。
 
わたしは、反逆の民、自分の思いに従って良くない道を歩む者たちに、一日中、わたしの手を差し伸べた。
 




 この民は、いつもわたしに逆らってわたしの怒りを引き起こし、園の中でいけにえをささげ、れんがの上で香をたき、墓地に座り、見張り小屋に宿り、豚の肉を食べ、汚れた肉の吸い物を器に入れ、「そこに立っておれ。私に近寄るな。私はあなたより聖なるものになっている」と言う。
 




 「これらは、わたしの怒りの煙、一日中燃え続ける火である。
 
見よ。これは、わたしの前に置かれている。
 
わたしは黙っていない。必ず報復する。
 
わたしは彼らのふところに報復する。――
 
山の上で香をたき、
 
丘の上でわたしをそしったあなたがたの咎と、あなたがたの先祖の咎をともどもに。
 
わたしは、かれらの先のしわざを量って、彼らのふところに、報復する」(イザヤ65:1~7新改訳)と。
 







 けれども、〔父である神〕は、その怒り、報復を私たちに向けないで、私たちの代わりに、〔御子〕である方に向けてくださったのだそうです。


 〔御子〕である方を人間イエスとして人の世に送り、この方がおよそ33歳の頃、反逆者として十字架刑で処刑し、私たちの反逆の罰を処刑が終わったものとしてくださり、私たちには和解の手を差し伸べ続けて下さっているのだそうです(Ⅱコリント5:18~21)。
 




 この世には知者がおり、権力者、身分の高い者、強い者もいます。


しかし、天の神、主は、霊の貧しい者、この世の、愚かな者、弱い者、取るに足りない者を選び、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民としてくださろうとして、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださっているのだそうです。
 




それで、その招きに応じる者は、神の民でなかったのに、神の民としていただき、あわれみを受けない者であったのに、あわれみを受ける者にしていただけるのだそうです(Ⅰペテロ2:9~10)。





 創り主よりも、自分のほうが知恵があり、素晴らしいものだとする〔生まれたときからの私〕という霊を、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただき、処刑されたもの、死んだものとしていただいて、新しく、イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方お迎えし、この方によって、〔神の子〕の身分を与えていただき(ロマ8:15)、神の家族として、〔父である神〕が私に思っておられる御思いを心に置いていただいて、〔父である神〕と思いを同じくし、心を一つにして歩む者に、と。
 




 かしこい者や知恵のある者ではなく、幼子たちを(ルカ10:21)。


今日も。


 




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