soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

 離れていた者が立ち帰るようにと

 わたしは一度死んだが、
見よ、世々限りなく生きて、
死と陰府(よみ)の鍵を持っている。黙示録1:18(4/16の週の聖句)


 主はこう言われる。
倒れて、起き上がらない者があろうか。
離れて、立ち帰らない者があろうか。エレミヤ書8:4


 イエスは言われた。
「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
ペトロは言った。
「主よ、私があなたを愛していることを、
あなたはよく知っておられます。」
イエスは言われた。
「わたしの羊を飼いなさい。」ヨハネ21:17


 Ⅰコリント15:12~20
 ルカ24:13~35(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句4/17;月)


 天の神、主は、
人が倒れると、すぐ起き上がるように、
ご自身から離れて行ったご自分の民が帰って来るのを待っておられるようです。


 イエスが捕まった夜、大祭司の庭で、女中や下役から、お前もイエスの仲間だろうと言われて、三度も、イエスを知らないと言ったペテロ。


 十字架刑での処刑を受けられ、墓に葬られ、三日目、日曜日の朝、
死者の中から新しい霊のからだに復活し、弟子たちに現れたイエスは、
ペテロのその背信を責めることなく、優しく、
「わたしを愛するか」と三度聞いてくださり、
弟子たちの世話をするよう命じられたのだそうです。


 クレオパとその妻も、イエスが、イスラエルの王として立ち、ローマ軍を打ち破ってダビデの王国を再建してくれるものと期待していたのに、十字架刑で処刑されてしまって、失意のうちにエマオ村の自宅へ帰ろうとしていたのだそうです。


が、途中で近づいてきて一緒に歩いている人が、旧約聖書全体から、キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入ることを解き明かしたのだそうです。


それで、強いて家に泊まってもらったところ、夕食の席で、客であるその人がパンを裂いて、家の主人であるクレオパ達に渡す、その様子で、それがイエスだと分かったというのですね(ルカ24:13~35)。


 パウロも言います。
「私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。
キリストは、(旧約)聖書の示す通りに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパ(ペテロ)に現れ、それから十二弟子に現れたことです」と。
そして「今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました(Ⅰコリント15:13~20)と。


 私たちに代わって十字架刑での処刑を受けられ、アリマタヤのヨセフが自分のために掘っておいた墓に葬られ、三日目に死人のうちより、新しい霊のからだに復活し、40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語り、オリーブ山で、弟子たちが見ている前で天に帰られたイエス。


 父である神の右の座に帰られたそのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、受け入れる者のうちに来てくださって、働いておられるのだそうです。
受け入れる者が〔父である神〕と思いを一つにして生きるようにと。
今日も。
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