soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

神の栄光の現れを見る生き方を

あなたがたが食べて満足するとき、
主を決して忘れないようにしなさい。申命記6:11~12


 あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、
何をするにしても、
すべて神の栄光を現すためにしなさい。Ⅰコリント10:31


 ヨハネ21:15~19
 使徒10:23b~33(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句6/22;木)


 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、約束の地を目の前にしたイスラエルの民に言われたのだそうです。
「あなたの神、主が、あなたの先祖、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地にあなたを導
き入れ、
あなたが建てなかった、大きくて、すばらしい町々、
あなたが満たさなかった、すべての良いものが満ちた家々、
あなたが掘らなかった掘り井戸、
あなたが植えなかったぶどう畑とオリーブ畑、
これらをあなたがたに与え、
あなたがたが食べて、満ち足りるとき、
あなたは気をつけて、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出された主、「わたしはあるという者」であるわたしを忘れないようにしなさい」(申命記6:10~12新改訳)と。


 イエスは、〔御子である神〕であり、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
〔父である神〕への愛と尊敬のゆえに、
自分からは何事もせず、ただ父が教えられたとおりを話し(ヨハネ8:28)、
自分の心を行うのではなく、
自分を遣わされた〔父である神〕のみこころを行っておられた(ヨハネ6:38)のだそうです。


 それで、イエスは、〔父である神〕の御思いのとおりに、
天の栄光の座を後にして人の世に降って人間イエスとなり(ヨハネ1:1~16)、
〔父である神〕のみこころのとおりに、
目の見えない者を見えるようにし、
足のなえた者を歩けるようにし、
ハンセン病のような重い皮膚病に冒された者をいやし、
耳の聞こえない者を聞こえるようにし、
死人を生き返らせ、
貧しい人にうれしい知らせを伝え(ルカ7:20~23)、
そして、最後には、「世の罪を取り除く犠牲の小羊」(ヨハネ1:29)として、
私たちのそむきの責任のすべてをご自身に負って、十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。


 〔父である神〕は、このイエスによって、私たちの〔生まれた時からの私〕という霊、
「神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者」になり(創世記3:5、22)、「私が」、「私が」とやっているこの私を処刑されたもの、死んだものとしてくださるのだそうです。


 そして、このイエスを通して、もう一人の助け主〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣し、
この方によって、ご自身が私たち一人一人に思っておられる御思いを受け入れる者の心に置き(エレミヤ31:33)、
受け入れる者がご自身と同じ思い、一つ心になり(エゼキエル36:25~28)、
ご自身がその人を通してしようと思っておられることをしていくようにしてくださるのだそうです。
イエスに似た者に。


 それで、受け入れる者は、食べるにしろ飲むにしろ、自分のほまれのためではなく、神の栄光のためにすることになるのだそうです。


 ペテロが、イエスが捕らえられ、裁判にかけられている肝心の場所で、「あんな人は知らない」と三度もイエスを否定し、自分の弱さ、駄目さ加減がいよいよ分かり、そんな自分を受け入れてくれているイエスの愛をいよいよ受けていき、イエスの思われるとおりに生きる者になったように(ヨハネ21:15~19)。


 それで、ペテロは、律法にかなわないとされ、自分の理性の善悪の判断ではとうてい訪問したりできないローマ人コルネリオのところにも、
〔父である神〕のみこころであり、御子イエスの御心でもある〔聖である霊〕と呼ばれる方の導きに従って出て行き、
御思いのとおりにイエスを伝えることにもなったのだそうです(使徒10:23b~33)。


 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、私たちの心にも御思いを置いてくださり、
神の栄光を現す生き方をさせてくださるのだそうですね。
今日も。
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