soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

「わたしが事を行えば、誰がそれを戻し得よう」と言われる方が

今より後も、わたしこそ主。
わたしの手から救い出せる者はない。
わたしが事を起こせば、誰が元に戻しえようか。イザヤ書43:13


 マリアの言葉:
主はその腕で力を振るい、
思い上がる者を打ち散らされます。ルカ1:51


 マタイ18:15~⒛
(イエスは弟子たちに言われた。)
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。
言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。


聞きいれなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。
すべてのことが二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。


それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。
教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。


はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ(つながれており〔新改訳〕)、
あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる(解かれている〔新改訳〕)。


また、はっきり言っておくが、
どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、
わたしの天の父はそれをかなえてくださる。
二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」



 使徒14:20b~28(通読箇所)
(ところが、ユダヤ人たちがアンティオキアとイコニオンからやって来て、群衆を抱き込み、パウロに石を投げつけ、死んでしまったものと思って、町の外にひきずり出した。
しかし、弟子たちが周りを取り囲むと、パウロは起き上がって町に入って行った。)


そして翌日、パルナバと一緒にテルベに向かった。
二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくではならない」と言って、信仰に踏みとどまるよう励ました。


また、弟子たちのために教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。


それから、二人はピシディア州をとおり、パンフリア州に至り、ベルゲで御言葉を語った後、アタリアに下り、そこらアンティオキアへ向かって船出した。
そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。


到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人にも信仰の門を開いてくださったことを報告した。
そして、しばらくの間、弟子たちと共に過ごした。
(ローズンゲン日々の聖句7/6;木)



天で、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の御心の中でつながれていることを、私たちは、この地上でつなぎ、


天で、天の神、主の御心の中で解かれていることを、私たちは、この地上で解くのだそうです。


 天の神、主の御心の中でなっていることをこの地上に実現するために用いていただける、のですね。
イエスが、また、パウロやバルナバがそうであったように。


 十字架に架かられ、墓に葬られ、三日目に死人のうちよりよみがえられたイエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
〔父である神〕が私を通してしようとしておられる御思いを私の心に置いてくださり、
私たちがその思いについて行って、踏み出す時、力強い御腕をもって実現してくださるのだそうですから。
今日も。
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