soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

イエスの復活による、生き生きとした希望を

あなたの太陽は再び沈むことなく、
あなたの月は欠けることがない。
主があなたの永遠の光となる。イザヤ書60:20


 私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。
神は豊かな憐れみにより、
私たちを新たに生まれさせ、
死者の中からのイエス・キリストの復活によって、
生き生きとした希望を与えられました。Ⅰペテロ1:3


 ルカ12:42~48
 使徒26:1~23(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句8/19;土)


私たちが、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を忘れて、さまよい出で、心の暗闇に陥ってしまうことは、もう、ないのだそうです。


この方に心の動きの全部を差し出し、見ていただきながら生きる人は、この方の光の中を歩むことになるのだそうですから。


 私たちは、この方を知らず、神なく、望みなく生きていた者でした。
この方によって、この方と思いを同じくし、心を一つにしながら生きるようにとの願いによって造られたものでありながら、
この方と一つになる場からさまよい出て、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になって、
この方を無視し、対抗して、自分の思うままに生きる私たちでした。


 そのような私たちを、なお、愛し、あわれみ、
〔御子〕である方を人として、人の世に遣わしてくださり、
私たちの〔的外れ〕の責任の全部をこの方に取らせて、私たちに代わって十字架刑で処刑し、
私たちの「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、〔生まれた時からの私〕という霊を、処刑の終わったもの、死んだものとしてくださっているのだそうです。


そして、死んで葬られたイエスを、三日目に死者の中から復活させ、40日に渡って何度も弟子たちに現われさせ、神の国のことを教えたのち、弟子たちのみている前で、オリーブ山から、天のご自身の右の座に帰らせなさったのだそうです。


そして、この、天に帰られたイエスを通して、もう一人の助け主である方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、
この方の働きで、私たちの心に、ご自身が私たち一人一人に対して思っておられる御思いを置いてくださり、私たちがこの御思いを自分の思いとし、この思いによって生きる者にしてくださるのだそうです。
それで、この方、天の神、主が私たちの光となり、暗やみの中を生きることはなくなるのだそうです。


イエスは言われたのだそうです。
「旅に出る主人から、その家の僕たちを任されて、食事時には、彼らに食べ物を与える忠実な賢い管理人とは、いったいだれなのでしょう。
主人が帰って来たとき、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。
わたしは真実をあなたがたに告げます。
主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。


ところが、もし、そのしもべが、「主人の帰りはまだだ」と心の中で思い、
下男や下女を打ちたたき、食べたり飲んだり、酒に酔ったりし始めると、
しもべの主人は、思いがけない日の、思いがけない時間に帰って来ます。
そして、彼をきびしく罰して、不忠実な者どもと同じめに合わせるに違いありません。


主人の心を知りながら、その思いどおりに用意もせず、働きもしなかったしもべは、ひどくむち打たれます。
しかし、知らずにいたために、むち打たれるようなことをしたしもべは、打たれても、少しで済みます。
すべて、多く与えられた者は多く求められ、多く任された者は多く要求されます」ルカ12:42~48)と。



パウロは、ローマ総督フェストと、ユダヤの領主アグリッパ王(アグリッパ二世、ヘロデ大王の曾孫)の取り調べの時も、自分の経験を、そのとおりに、真実に語っています。


以前は、自分自身も、ナザレ人イエスの名に強硬に反対すべきだと考えていたこと。
そして、それをエルサレムで実行し、イエスの弟子たちを牢に入れ、彼らが殺されるときには、それに賛成の票を入れていたこと。
また、すべての会堂で、しばしば彼らを罰しては、強いて御名をけがすことばを言わせようとし、
彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついに国外の町々にまで彼らを追跡して行ったこと。


祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行き、その途中、正午ごろ、太陽よりも明るく輝く天からの光が周りを照らし、みな地に倒れたこと。
そのとき、ヘブル語で「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。刺のついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ」という声が聞こえ、
「主よ。あなたはどなたですか」と私が言うと、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
起き上がって自分の足で立ちなさい。
わたしがあなたに現れたのは、あなたが見たこと、また、これから後、わたしがあなたに現れて示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。
それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、
わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、
聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである」と言われたこと。


こういうわけで、この天からの啓示にそむかず、ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤの全地方に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするよう、
預言者たちやモーセが、後に起こるはずだと語ったこと、
すなわち、キリストは苦しみを受けること、
また、死者の中からの復活によって、この民と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、ということ以外は何も話さなかったこと(使徒26:1~23新改訳)を。


私たちも、委ねられ、任された分に応じていのちのパンを配っていきたいですね。
死者の中からのイエス・キリストの復活によって与えられた生き生きとした希望を。
今日も。


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