soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことのない者としてくださって

主は決してあなたをいつまでも捨て置かれはしない。
主の慈しみは深く、
懲らしめられてもまた憐れんで下さる。哀歌3:31~32


 あらゆる恵みの源である神、
即ち、キリスト・イエスを通して
あなた方を永遠の栄光へ招いてくださった神ご自身が、
しばらくのあいだ苦しんだあなたがたを完全な者とし、
強め、力づけ、揺らぐことがないようにして下さいます。Ⅰペテロ5:10


 ロマ書11:1~12
 使徒26:24~32(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句8/21;月)


「天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、いつくしみ深い方。
主を待ち望み、主を求めるたましいに。


主の救いを黙って待ち望むのは良い。
人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
それを負わされたなら、ひとり黙って座っているがよい。
口をちりに着けよ。
もしや希望があるかもしれない。
自分を打つ者に頬を与え、
十分にそしりを受けよ。
主は、いつまでも見放してはおられない。
たとい悩みを受けても、
主は、その豊かな恵みによって、あわれんでくださる。
主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない」(哀歌3:25~33新改訳)
のだそうです。


天の神、主は、あらゆる恵みの源であり、
私たちを永遠の栄光の中に招き入れてくださる方。
苦しみも用いて、私たちを、完全な者にし、固く立たせ、強くし、不動の者としてくださる方なのだそうですから。


今、ユダヤ、イスラエルの人々は、イエスを受け入れず、イエスを通しての神の恵みから外れてしまっているかのように見えます。
けれども、神は、あらかじめ知っておられたご自分の民をしりぞけてしまわれることはないのだそうです。
彼らの違反によってイエスによる救いが異邦人に及ぶことになり、
彼らの失敗が私たち異邦人の富となったのなら、
彼らの完成は、さらに素晴らしいものをもたらすことになるのだそうです(ロマ11:1~12)。


ユダヤの領主、アグリッパ王の前でのパウロの弁明、
キリストは苦しみを受けること、
また、死者の中からの復活によって、
この民(ユダヤ人)と異邦人とに最初に光を宣べ伝える、とのパウロの弁明は、
ローマ人、総督フェストには、パウロが博学によって気が狂っていると思われたようです。
パウロがカイザル(ローマ皇帝)に上訴していることで、パウロは、ローマ帝国の権威によってローマに護送されることになり、ユダヤ人からの殺害から守られ、
カイザル(ローマ皇帝)の前での弁明で、このイエスによる救いを語ることになったのだそうです(使徒26:24~32)。


私たち、困難や苦難、いわれのないはずかしめ、そしりの中に置かれることもありますが、
主は、いつまでも捨て置かれることはないのだそうです。
自分を打つ者に頬を与え、十分にそしりを受けているなら、
主は、豊かなあわれみによって、私たちを完全な者にし、強め、力づけ、揺らぐことのない者とし、永遠の栄光にふさわしい者にしてくださるのだそうですから。
今日も。


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