soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ」と

わたしはわが群れを救い、
二度と略奪にさらされないようにする。エゼキエル書34:22


 キリストは教会を愛し、
教会のためにご自分をお与えになった。エフェソ書5:25


 コロサイ書1:9~14
 ゼカリヤ書2:1~9(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句12/6;水)


 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、仰せられるのだそうです。
「わたしは失われたものを捜し、
迷い出たものを連れ戻し、
傷ついたものを包み、
病気のものを力づける。


 わたしは肥えたものと強いものを滅ぼす。
わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
見よ。わたしは、羊と羊、雄羊と雄山羊のとの間をさばく。
あなたがたは、良い牧場で草を食べて、それで足りないのか。
その牧場の残った分を足で踏みにじり、
澄んだ水を飲んで、その残りを足で濁すとは。


 わたしの群れは、あなたがたの足が踏みつけた草を食べ、
あなたがたの足が濁した水を飲んでいる。
見よ。わたし自身、肥えた羊とやせ衰えた羊との間をさばく。
あなたがたはわき腹と肩で押しのけ、
その角ですべての弱いものを突き倒し、
ついに彼らを外に追い散らしてしまったので、
わたしはわたしの群れを救い、
彼らが二度とえじきにならないようにし、羊と羊との間をさばく。


 わたしは、彼らを牧する一人の牧者、わたしのしもべダビデを起こす。
彼は彼らを養い、彼らの牧者となる。
主、「『わたしはある』という者」であるわたしが、彼らの神となり、
わたしのしもべダビデはあなたがたの間で君主となる。
主であるわたしがこう告げる」(エゼキエル34:16~24)と。



この預言から600年ほど後、
ユダヤの地に現れ、
ユダヤの指導者たちのねたみにより、ローマ兵によって十字架刑で処刑されたイエス。


 イエスがその十字架での処刑を受けられたのは、
イエスが私たちすべての人間を愛し、
私たちすべての人間のためにご自身をささげられた出来事だったのだそうです。


そして、イエスは、みことばにより、水の洗いをもって、
受け入れる人々をきよめて聖なるものとしてくださり、
ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、
聖く、傷のないものとして、
ご自身の前に立たせようとしていてくださるのだそうです(エペソ5:25~27新改訳)。



 〔父である神〕は、私たちを暗やみの圧政から救い出して、
愛する御子、イエスのご支配の中に移し、
この御子のうちにあって、私たちを贖(あがな)い、
罪の赦しを与えようとしていてくださるのだそうです。


イエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方によって、
私たちを、あらゆる霊的な知恵と理解力によって、
神の御心に関する真の知恵に満たし、
主イエスにかなった歩みをし、
あらゆる点で主に喜ばれ、
あらゆる善行のうちに実を結び、
神を知る知識を増し加えてくださり、
神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くしてくださり、
忍耐と寛容を尽くすものとし、
光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を
私たちに与えようとしていてくださるのだそうですから(コロサイ1:9~14)。


 イエスは、栄光の王として、
その聖なる御住まいから再び来られて、
私たちのただ中に住んでくださり、
正しく、公正な裁きをし、
火の城壁となって守ってくださるのだそうです。
「あなたがたに触れる者は、わたしのひとみに触れる者だ」と(ゼカリヤ2:1~13)。


 この方の御思いの中へと。
今日も。
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