soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

期待し、待ち続けるなら

カレブからヨシュアへの言葉:
一緒に行った者たちは民の心を挫(くじ)きましたが、
私は私の神、主に従い通しました。ヨシュア記14:8


 忍耐によって、
あなたがたは命をかち取りなさい。ルカ21:19


 イザヤ書11:10~13
 ゼカリヤ書12:9~13:1(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句12/19;火)
 モーセを指導者としてエジプトを脱出したイスラエルの民、
約束の地を目の前にするカデシュ・バルネアから
部族のかしら12人を偵察に出したのだそうです。


彼らは40日かかって約束の地を北から南までさぐり、
その地が乳と蜜の流れる地、良い地であること、
しかし、その地に住む民は力強く、町々は城壁で囲まれていて大きく、
彼らには私たちがイナゴのように見えたことだろうと報告し、
民の心をくじいたのだそうです。


 それで民は、自分たちで別の指導者を立て、
エジプトに帰ろうと言い出したのだそうです。
 そのとき、ヨシュアとカレブだけは、
「私たちが巡り歩いて探った地は、すばらしく良い地だった。
もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、
それを私たちに下さるだろう。
あの地には、乳と蜜が流れている。
だだ、主に背いてはならない。その地に住む人々を恐れてはならない。
彼らは私たちのえじきとなるからだ。
彼らの守りは、彼らから取り去られている。
しかし主が私たちとともにおられるのだ。
彼らを恐れてはならない」と説得したのですが、
民は彼らを石で打ち殺そうとしたのだそうです(民数記13:1~14:10)。


 それで、天の神、主は、イスラエルの民を荒野に向かわせ、
荒野での40年を過ごさせて、
このとき、つぶやいた者、20歳以上の登録され、数えられた者は、
約束の地に入ることが許されず、
背信の罪を負って荒野で死ぬことにされたのだそうです。


 「しかし、ヨシュアとカレブは、わたしに従い通したので、
わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。
彼の子孫はその地を所有するようになる」(民数記14:20~38)と。


そして、それから45年の後、85歳のカレブは、
モーセの後継者となり、民を約束の地に導き入れたヨシュアに申し出て、
約束のヘブロンの地を相続地として受けることになり、
その地に戦争はやんだのだそうです(ヨシュア14:6~15)。


神のみこころを行って、約束のものを受けるためには、忍耐が必要なのだそうです。
期待し、待ち望み続けることによって、
約束の命を勝ち取るようにしていただけるのだそうですから。


 その日、エッサイ(ダビデの父)の根は、国々の旗として立ち、
国々は彼を求め、
彼のいこう所は栄光に輝く。
その日、主は再び御手を伸ばし、


ご自分の民の残りを買い取られる。
主は、国々のために旗を揚げ、
イスラエルの散らされた者を取り集め、
ユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる。
エフライムのねたみは去り、
ユダに適する者は断ち切られる。
エフライムはユダをねたまず、
ユダもエフライムを敵としない(イザヤ11:10~13新改訳)


 「その日、わたしはエルサレムに攻めて来るすべての国々を捜して滅ぼそう。


わたしは、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注ぐ。
彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見、
ひとり子を失って嘆くように、その者のために嘆き、
初子を失って激しくなくように、その者のために嘆く。
その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、
罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる」(ゼカリヤ12:9~13:1)。


 2000年ほど前、確かにイエスは、死亡の確認のため、槍で突き刺され、
御座に着いておられる方は、屠られた小羊と見られる方なのだそうです。


 期待をもって待ち望み続ければ、命を勝ち取るのだそうですから。
私たちも。
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