soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

全きいこいに戻らせようと

私の魂よ、
再び安らうがよい、
主はお前に報いてくださる。詩116:7



 私の神は、
ご自分の栄光の富に応じて、
キリスト・イエスによって、
あなたがたに必要なものを
すべて満たしてくださいます。フィリピ書4:19



 出エジプト2:1~10
 ヨハネ1:29~34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/3;水)


 詩篇116篇の作者はうたいます。


私は主を愛する。
主は私の声、私の願いを聞いてくださるから。
主は、私に耳を傾けられるので、


私は生きる限り主を呼び求めよう。
死の綱が私を取り巻き、
よみの恐怖が私を襲い、
私は苦しみと悲しみの中にあった。


そのとき、私は主の御名を呼び求めた。
「主よ。どうか私のいのちを助け出してください。」
主は情け深く、正しい。


まことに、私の神は憐れみ深い。
主はわきまえのない者を守られる。


私がおとしめられたとき、私をお救いになった。
私のたましいよ。おまえの全きいこいに戻れ。
主はおまえに、良くしてくださったからだ。
まことに、あなたは私のたましいを死から、
私の目を涙から、


私の足をつまずきから、救い出されました(詩篇116:1~8新改訳)、と。





 ヨセフがエジプトで、王に次ぐ者、宰相になった時に、
飢饉を逃れてエジプトに下ったイスラエルの人々は、
王の保護のもとで増え広がり、一つの民族に成長したのだそうです。



 しかし、このときは、遊牧民の征服王朝だったようですが、
やがて、ヨセフのことを知らない別の王朝、
本来のエジプト人の王朝に替わったとき、
新しい王は、イスラエルの民に日干しレンガを作らせ、
新しい街を建てる労働力としてこき使うようになったのだそうです。




 しかし、苦しめれば苦しめるほど、イスラエルの人口が増えていくので、
今度は、王は、
生まれて来る男の子はみな、ナイル川に投げ込んで殺すよう命令したのだそうです。



 そのようなとき、モーセは生れたのだそうです。
両親は、3ヶ月の間、その子を隠していたのですが、
隠しきれなくなって、
パピルス製のかごを手に入れ、
瀝青(アスファルト)と樹脂を塗って水が入らないようにし、
その子を中に入れ、
ナイル川の葦の茂みの中に置いたのだそうです(出エジプト1:8~22)。



 その子の姉のミリアムが、
その子がどうなるかを知ろうとして、遠く離れて立っていたとき、
パロ(エジプト王の称号)の娘が水浴びをしようとナイル川に降りて来て、
そのかごを見つけ、
「それを開けると、子どもがいた。
なんと、それは男の子で、泣いていた。
彼女はその子をあわれに思い、『これはきっと、ヘブル人の子どもです』と言った。
そのとき、その子の姉がパロの娘に言った。
『あなたに代わって、その子に乳をのませるため、
私が行って、ヘブルの女のうばを呼んでまいりましょうか』」、と。



 こうして、その赤ん坊は、死からまぬかれ、
実の母親に育てられることになり、
「その子が大きくなったとき、女はその子をパロの娘のもとに連れて行った。
その子は王女の息子となった。
彼女はその子をモーセと名づけた。
彼女は『水の中から、私がこの子を引き出したのです』と言ったからである」(出エジプト2:1~10)。





 天の神、主は、このようにして、
イスラエルの民をエジプトの奴隷状態から救い出し、
約束の地に帰らせるための指導者としての、モーセを準備されたのですが、
およそ1500年後のイエスの場合、
バプテスマのヨハネの証言は次のようだったのだそうです。


 その翌日、
ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て言った。
「見よ。世の罪を取り除く神の小羊。」
私が「私のあとから来る人がある。
その方は私にまさる方である。
私よりも先におられたからだ」(ヨハネはイエスよりも6ヶ月先に生まれている)
と言ったのは、この方のことです。


 私もこの方を知りませんでした。
しかし、この方がイスラエルに明らかにされるために、
私は来て、水でバプテスマを授けているのです。」


 またヨハネは証言して言った、
「御霊が鳩のように天から下って、
この方の上にとどまられるのを私は見ました。
私もこの方を知りませんでした。
しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わされた方が、
私に言われました。
「御霊がある方の上に下って、
その上にとどまられるのがあなたに見えたなら、
その方こそ、
聖霊によってバプテスマを授ける方である。」
私はそれを見たのです。
それで、この方が神の子であると証言しているのです」(ヨハネ1:29~34)。



 私たちの願い、叫びに答え、報い、良くしてくださり、
全きいこい、安らぎに入れてくださる方、


キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、
私たちの必要のすべてを満たしてくださる方、


赤ん坊のモーセをナイル川の水の中から引き出し、
バプテスマ(洗礼)の水の中から上がられたイエスに、
〔聖霊なる神〕を派遣された〔父である神〕が、
私たちにも、
私たちに代わって十字架刑での処刑を受けてくださった
イエスを通して〔聖霊なる神〕を派遣してくださり、
この方によって、
私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
受け入れる者がご自分と心を一つにして生きるようにと
願っていてくださるのだそうです。
必要のすべてを用意して。
全き安らぎの中で。
この新しい年。

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