soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

繁栄を与えて下さるのだそうですね。この方。

わたしは彼らを増やす。 数が減ることはない。 わたしが彼らに栄光を与え、侮られることはない。エレミヤ書30:19  イエスの言葉: 天の国はからし種に似ている。 人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、 成長するとどの野菜よりも大きくなり、 空の鳥が来て枝に巣を作るほどになる。マタイ13:31~32       (ローズンゲン日々の聖句7/22;水)  天の神、主と呼ばれる方は、私たちの反抗に対して怒りをあらわし、私たちを打たれますが、また、思い直して憐れんで下さる方でもあるのだそうです。  神に裁かれた者、打たれ、呪われた者とされ、かせいでも報酬がなく、争いがあり平安がなかったけれど、これからは、平安の種がまかれ、ぶどうの木は実を結び、地は産物を出し、天は露を降らせ、幸いを下し、祝福とならせて下さるのだそうです。  だから、互いに真実を語り、真実と平和の裁きを行い、互いに心の中で悪を計らず、偽りの誓いを愛するな。これらはみな、わたしが憎むからだ、と(ゼカリヤ8:9~17)。  私たちに代わって十字架刑で処刑され、私たちの背きの罪をご自身に背負って下さった方、墓に葬られ、3日目、日曜日の早朝、墓よりよみがえり、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、ご自分が生きておられることを見せたうえで、天の元、居られたところ、父である神と呼ばれる方の右の座に帰られた方。  そのイエスが私たちひとり一人に派遣して下さる聖である霊と呼ばれる方が、私たちの心に働きかけて、私たちひとり一人の心に天の神、主の御思いを書き記して下さるのだそうです。  それで、私たちが願うなら、私たちの心にも、この方が憎むことを憎み、この方がしたいと思うことをしたいと思う思いが来るようにしていただけるのだそうです。  その思いは、まだ何も起こっていないような、まだ小さく、からし種、針の先でちょっとついたあとくらいの、目を凝らさなければ見落としてしまうような小さな出来事であったとしても、成長して、木のように大きくなり、私たちの心いっぱいに満ちる思いになり、私たちの行動の原動力となり、溢れ出して多くの人々に広がっていくのだそうです。  私たちも、平和と祝福を持って来る者として、用いていただけるのだそうですね。 今日も。 "にほんブログ村哲学・思想ブログ キリスト教へ" [[img(http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif)]] [http://www.blogmura.com/point/00697809.html PVアクセスランキング にほんブログ村] [269RANKのランキングサイト] 哲学・思想 ブログランキングへ

×

非ログインユーザーとして返信する