soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

人の命は、財産によっては、どうすることもできないから

あなたは隣人のものを
一切欲しがってはならない。申命記5:21


 イエスの言葉:
どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
有り余るほどの物を持っていても、
人の命は
財産によって
どうすることもできないからである。ルカ12:15


 ロマ書9:31~10:8
 申命記3:12~29(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句1/16;火)


 天の神、主、
「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、仰るのですね。
「あなたは隣り人の妻を欲しがってはならない。
あなたの隣人の家、畑、男奴隷、女奴隷、牛、ろば、
すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない」(申命記5:21新改訳)、と。


 自分で得ようとしないで、
わたしに求めて来なさい、と仰っているようです。


 ダビデが、忠実な部下ウリヤを
わざと激戦地に送って戦死させ、
その妻、バテ・シェバを取ったとき、
天の神、主は、預言者ナタンをダビデのところに遣わして言われたのだそうです。
「イスラエルの神、主はこう仰せられる。
『わたしはあなたに油をそそいで、イスラエルの王とし、
サウルの手からあなたを救い出した。
さらに、あなたの主人の家を与え、
あなたの主人の妻たちをあなたのふところに渡し、
イスラエルとユダの家も与えた。
それでも少ないというのなら、
わたしはあなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。
それなのに、どうしてあなたは主の言葉をさげすみ、
わたしの目の前に悪を行ったのか』」(Ⅱサムエル記12:7~9)、
と言われたのだそうですから。


 群衆の中のひとりが、イエスに、
「先生。私と遺産を分けるように私の兄弟に話してください」と言ったとき、
イエスは言われたのだそうです。
「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。
なぜなら、いくら豊かな人でも、
その人のいのちは財産にあるのではないからです」と。


 そして、あるたとえを話されました。
「ある金持ちの畑が豊作だったので、その人は、心の中で言った。
どうしよう。しまっておく場所がない。
そうだ。こうしよう。
もっと大きな倉を建て、穀物や財産をみなそこにしまい、
そして、自分のたましいにこう言おう。
『たましいよ。
これから先、何年分もいっぱい物がためられた。
さあ、安心して、食べて、飲んで、楽しめ。』


 しかし、神は彼に言われた。
『愚か者。
おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。
そうしたら、おまえが用意した物は、
いったいだれのものになるのか。』


自分のためにたくわえても、神の前に富まない者はこのとおりです」と。


 そして、さらに言われたのだそうです。
「だから、わたしは言います。
いのちのことで何を食べようかと心配したり、
何を着ようかと心配し、気をもむことはやめなさい。
烏に食べ物を与え、
ゆりの花をこのように装ってくださる神は、
それ(食べ物や着る物)があなたがたにも必要なことを知っておられます。
神の国(統治、支配)を求めなさい。
そうすれば、これらの物は、それに加えて与えられます」(ルカ12:13~31)と。


 私たちの身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださり、
死んで、墓に葬られ、
陰府、地の奥底まで下り、
三日目に死人の中より復活して、
40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語り、
オリーブ山から、
弟子たちの見ている前で上げられ、
雲に迎えられて見えなくなられたイエス(使徒1:3~9)。
その〔父である神〕の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる
〔聖である霊〕と呼ばれる方。
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思い。
その御思いについて行ってほしいのだそうです。


必要を神に申し上げ、知っていただきながら、
「みこころが天で行われるように、
この私を通しても実現しますように」と。


 天の神、主は、
私たち一人一人を通しても、
働かれるのだそうですから(申命記3:22)。
今日も。

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