soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

野ぶどうの木も、甘い、良いぶどうの実を結ぶように

ヤコブは眠りから覚めて言った。
「ここは、なんと畏れ多い場所だろう。
これはまさしく神の家である。
そうだ。ここは天の門だ。」創世記28:17


 言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿られた。
私たちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、
恵みと真理とに満ちていた。ヨハネ1:14


 ルカ6:43~49
 申命記15:12~18(通読箇所)


  (ローズンゲン日々の聖句2/7;水)


 双子の、弟のヤコブ。
兄エサウのかかとをつかんで生まれて来たのだそうです。
草食系男子?だったのでしょうか。
兄エサウが漁師で、父イサクに愛されていたの対し、
ヤコブは羊を飼う者となり、母リベカに愛されていたのだそうです。


 そして、兄エサウが飢え疲れて野から帰って来たとき、
ちょうど、煮ていた赤いレンズ豆、一杯で長子の権利を売り渡させたのだそうです。



さらに、父イサクが、年をとり、目も見えなくなり、
長子エサウを祝福(遺言のような)しようとしたとき、
兄エサウに扮装して、エサウに成りすまして父をだまし、
その祝福を自分が取ったのだそうです。


 それで、エサウは、「父の喪の日も近づいている。
そのとき、弟ヤコブを殺してやろう」と思っていたのだそうですが、
それが、母リベカに知れて、
リベカはヤコブを、自分の実家、
バダン・アラム(ハラン。ユーフラテス川の上流、トルコに近い所)の、
自分の兄ラバンのもとへ逃がすのですが、
その旅の途中での野宿の時のことなのですね。
夢で、天から地に向かっての、はしご(階段)があり、
神の使いたちが上り下ししていたのだそうです。



そして、天の神、主がヤコブのかたわらに立っておられ、仰せられたのだそうです。
「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主、「『わたしはある』という者」である。
わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
あなたの子孫は、西、東、北、南へと広がり、
地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。
見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行ってもあなたを守り、
あなたをこの地に連れ戻そう。
わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない」、と。



そして、それから歴史は1800年ほど降って、
そのヤコブの子、ユダ、その子孫であるダビデの子孫、マリヤの胎を通して、
〔父である神〕の言(ことば)の位置におられる〔独り子である神〕が、
人として、人間の歴史の中に幕屋(神殿)を張られた(肉体をとって来られた)のだそうです。


イエスは、そのような方だから、



「この神殿をこわしてみなさい。
わたしは、三日でそれを建てよう」と仰ったのでしょうね(ヨハネ2:19)。



イエスは、「悪い実を結ぶ、良い木はないし、良い実を結ぶ悪い木もありません。
いばらからいちじくは取れず、野ばらからぶどうを集めることはできません。
良い人は、その心の良い倉から良いものを出し、
悪い人は、悪い倉から悪い物を出します」(ルカ6:43~45)と仰られました。



 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
私たちの〔生まれたときからの霊〕という倉からは、
天の神、主を愛する心、この方と心を一つにしようとする思いは出て来ないのですね。




 けれども、イエスは、私たちが良い木になる道を開いてくださったのだそうです。
この、私という木を、惜しむことなく、根元からバッサリと切り落として
(イエスに合わせていただいて、十字架刑で処刑されたもの、死んだものとしていただいて)、
良い木の芽を接ぎ木して(〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣して)いただいて、
この方(良い倉)から来る御思いによって生きる者にしていただけるのだそうですから。




 それで、私たちも、土台なしで砂の上に家を建てる
(「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いによって生きる)生き方から、
岩の上に土台を据え、その上に家を建てる
(〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る〔父である神〕の御思いによって生きる)
生き方(ルカ6:47~49)に取り換えていただけるのだそうです。
神の家、天の門として、恵みと真理の中へと。
今日も。
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