soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

突然の恐怖に、恐れおののく時にも

 突然襲う恐怖に、おびえてはならない。
主があなたを守ってくださる。箴言3:25~26


 主により頼み、
その偉大な力によって強くなりなさい。エフェソ6:10


 歴代志上29:9~18
 ゼファニア書3:9~20(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句9/6;木)


私たちの側は、恐怖に襲われ、恐れ、おののいていてもいいのですね。
天の神、主、「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方が、
私たちのわきにおられ、
私たちの足がわなにかからないように、
守ってくださるのだそうですから。
すぐれた知性と思慮とをもって。


 神の御子である方が、
人間イエスとなって私たちの歴史の中に来てくださり、


 私たち、
天の神、主によって
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、
「わたしたちが一つであるように、
わたしたちと一つになる」(ヨハネ17:21~22)者をと願って造られていながら、
その造られた場にとどまることをやめ、
もっと立派な者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」(創世記3:5、22)ようになり、
創造の目的から「的外れ」になった私たちに代わって、
その「的外れ」の責任のすべてをご自身に負って、
神に呪われた者となり、
十字架刑での処刑を受けてくださったのだそうです。


 〔父である神〕は、
これを受け入れる者を、
この、「的外れ」になっている私自身、
〔生まれたときからの私〕という霊を
イエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑された者、死んだものとしてくださるのだそうです。


 そのうえで、受け入れる者に、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって、
受け入れる者の心に〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。


 だから、自ら進んで(歴代誌上29:9)自分をささげ、
「御思いのとおりに私を使ってください」と願っていくなら、
私たちは、〔父である神〕の御思いのように生きる者にしていただけるのだそうです。


 天の神、主が、共におられる者となって(ゼパニア3:15)。
この方の守りの中で、
この方の偉大な力に覆われて。
今日も。


(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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