soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

この方に望みを置き、良きものに囲まれ

主に希望を置く者は
良いものに囲まれる。詩32:10



希望は私たちを欺くことがありません。
私たちに与えられている聖霊によって、
神の愛が
私たちに注がれているからです。ロマ書5:5



 Ⅰペトロ3:8~17
 使徒26:24~32(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/30)



   ―――― ☆ ――—―



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)、
この方に信頼し、この方に希望を置く者は、
神の恵みが、良いものがその人を取り囲むのだそうです。



 神である【主】は、私たちを
ご自身の栄光で包もうとしていてくださるのですから。
それで、この方に信頼し、
その約束のことばの実現を待ち望むこの希望は、
私たちを欺き、失望させるようなことはないのですね。



イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
神の愛が私たちの心に注がれているのですから。



この方は私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださいます。


それで私たちの心にも、皆が一つ思いになり、
同情し合い、兄弟愛をしめし、優しい心の人となり、
謙虚になる思いがあるようになるのですね。



悪に対して悪を返さず、
侮辱に対して侮辱を返さず、
逆に祝福する思いも。


祝福を受け継ぐために召された者にふさわしく。



たとえ義のために苦しむことがあっても、
人々の脅(おびや)かしを恐れたり、おびえたりすることなく、
むしろ、心の中でキリストを主とし、聖なる方として。



私たちを取り調べ、
この希望について説明を求める人には、だれにでも、
いつでも、優しく柔和な心で、慎み恐れつつ、
健全な良心をもって弁明するのですね。



神の御心であるなら、悪を行って苦しみを受けるより、
善を行って苦しみを受けるほうが良いのですから。(Ⅰペテロ3:8~17)



 パウロが、ローマ総督フェストウスとアグリッパ王の前で、
自分の話しを聞いている人々が、皆、
イエスに信頼する者になるようにと願いながら弁明したように。(使徒26:24~32)





 私たちも、【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の愛に満たされながら、
神の栄光にあずかる希望の中で、
神から来る祝福、良いものに囲まれながら。


今日も。




~~~~~~~~


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