soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

死を呑み込み、私たちを復活のいのちで生きる者へ、と

主は死を
永遠に呑み込んでくださる。イザヤ書25:8


 


私はキリストとその復活の力を知り、
その苦しみにあずかって、
その死の姿にあやかりながら、
何とかして死者の中からの復活に
達したいのです。フィリピ書3:10~11



 使徒11:1~18
 創世記24:50~67(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』6/1;木)



     ―――― α&ω ――――



 イエスは、ご自身の十字架刑での死と
三日目、日曜日の朝の
死人の中からの新しい霊のからだへの復活によって、
死を永遠に呑み込んでくださっているのですね。



そのイエスによって復活を与えられる希望の中で、
パウロは言います。
私はキリストとその復活の力を知り、
その苦しみにあずかって、
その死の姿にあやかりながら、
死者の中からの復活が自分の身にも実現するように、と。


自分の〔生まれたときからの霊〕は
処刑されて死んだ者としていただき、
自分の〔生まれたときからの霊〕から出て来る
善悪の判断だけで行動するのではなく、
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来る
【父である神】の善悪の判断と思いを合わせて生きる
新しい生き方が身についていくように、と。




 イエスの弟子たちは、
最初は全部ユダヤ人だったのですね。
その当時、ユダヤ人たちは、
ユダヤ人だけが特別な神のとの契約の民であって、
神の救いにあずかれるのは
ユダヤ人だけだと思っていました。



だから、ユダヤ人以外の異邦人と付き合うと
汚けがれるから付き合わない、
異邦人の家に入ったり、一緒に食事をしたりしないように
していたようです。



それで、そのユダヤ人と異邦人という固定観念から
出るようにと、
神である【主】は、ペテロに一つの幻を見せ、
ペテロを異邦人コルネリオの家に行かせて、
イエスのことを伝えさせ、
コルネリオに家に集まり、
ペトロの話しを聞いていた人たちに【
聖である霊】をお遣わしになり、
神は
ユダヤ人と異邦人の差別をなさらないことを表されました。



それで、ペテロがエルサレムに帰ったとき、
ユダヤ人である他の弟子たちがペテロを非難しました。


その時の様子をルカは次のように記しています。



 さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、
異邦人たちが神のことばを受け入れたことを耳にした。
そこで、ペテロがエルサレムに上って来たとき、
割礼を受けている者たち
(その時のイエスの弟子たちは全員、
割礼を受けているユダヤ人だった)が、彼を非難して、
「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、
彼らと一緒に食事をした」と言った。


そこで、ペテロは彼らに事の次第を順序だてて説明した。
「私はヤッファの町で祈っていました。
すると、夢心地になり、幻を見ました。
大きな敷布のような入れ物が、四隅をつり下げられ、
天から降りて来て、私のところに届いたのです。
その中をよく見ると、地の四つ足の動物、獣、這うもの、
空の鳥が見えました。



そして、『ペテロよ、さあ、屠ほふって食べなさい。』という声を
聞きました。
しかし私は、『主よ、そんなことはできません。
私は、きよくない物や汚けがれた物を、
まだ一度も口に入れたことがありません』と言いました。


すると、もう一度天から声が返って来ました。
『神がきよめた物を、
あなたがきよくないと言ってはならない。』
このようなことが三回あって、
すべての物が再び天に引き上げられました。



すると、なんとちょうどそのとき、三人の人たちが
私たちがいた家の前に立っていたのです。
カイサリアから私たちのところに遣わされた人たちでした。


そして御霊みたまは私に、ためらわずに
その人たちと一緒に行くように言われました。
そこで、ここにいる六人の兄弟たちも同行して、
私たちはその人の家に入りました。


すると、その人は、
御使いが自分の家の中に立っているのを見たこと、
そして次のように語ったことを私たちに話してくれました。
『ヤッファに人を遣わして、
ペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。
その人が、
あなたとあなたの家の者たち全員を救うことばを、
あなたに話してくれます。』



そこで、私が話し始めると、
聖霊が初めに私たちの上に下ったのと同じように、
彼らの上に下ったのです。
私は主が、
『ヨハネは水でバプテスマを授けたが、
あなたがたは聖霊によるパプテスマを授けられる』
と言われたことばを思い起こしました。



ですから、神が、私たちが主イエスを信じたときに
私たちにくださったのと同じ賜物たまものを、
彼らにお授けになったのなら、
どうして私などが、
神がなさることを妨げることができるでしょうか。」



人々はこれを聞いて沈黙した。
そして、「それでは神は、いのちに至る悔い改めを
異邦人にもお与えになったのだ」と言って、
神をほめたたえた。(使徒11:1~18)




 神である【主】は、この神の民
ユダヤ民族(イスラエル民族)を造り出すために、
カルディアのウルにいたアブラハムを
カナンの地に呼び出しました。


そして、約束の息子イサクに嫁を迎えるのに
カナンの地にいる娘たちの中からではなく、
アブラハムの親族の地に行ってイサクの妻を迎えるよう、
思いを与えられました。


それで、アブラハムは
しもべをアラム・ナホライムへ遣わしました。


旅をしてその町の外の井戸のそばについたしもべは
らくだを井戸のそばに伏させて神に言いました。
「私の主人アブラハムの神、【主】よ。
どうか今日、私のために取り計らい、
私の主人アブラハムに恵みを施してください。
ご覧ください。私はイズミのそばに立っています。
この町の人々の娘たちが、水を汲みに出て来るでしょう。
私が娘に、
『どうか、あなたの水がめを傾けて、
私に飲ませてください』と言い、
その娘が、
『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』
と言ったなら、その娘こそ、あなたが、
あなたのしもべイサクのために定められた人です。
このことで、あなたが私の主人に恵みを施されたことを、
私が知ることができますように。



そして、しもべがまだ言い終わらないうちに、
アブラハムの兄弟ナホルの孫娘のリベカが
水がめを肩に載せて出て来た、
彼女は泉に下りて行き、水がめを満たして上って来た。
しもべは彼女の方に走って行って、言った。
「どうか、あなたの水がめから、水を少し飲ませてください。」


すると彼女は、
「どうぞ、お飲みください。あなたのらくだにも、
飲み終わるまで、水を汲みましょう」と言った。



このようにして、神である【主】は、アブラハムのしもべを
アブラハムの親族の娘リベカと出会わせられたのですね。


そして、リベカはしもべと一緒に行くことになり、
イサクは、その母サラの天幕にリベカを連れて行き、
リベカを迎えて妻とし、彼女を愛した。
イサクは、母の亡き後、慰めを得た。(創世記24:1~67)




 このようにして神である【主】は、
アブラハム、イサク、ヤコブ、そしてイスラエル12部族へと
イスラエル民族を造り上げていかれたのですね。
そしてイエスは、その中のユダ部族の中の
ダビデの子孫として生まれられ、
ご自身が受けられた十字架刑での処刑による死と、
三日目の、新しい霊のからだへの復活によって、
人間の創造の目的からの「的外れ」の結果である
死を呑み込み、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったもの、死んだ者としてくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来られても
私たちが滅びてしまわないようにしてくださいました。


 


そして、私たちが、
〔生まれたときからの私〕から出て来た思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
イエスの御前に投げ捨てながら、
この【聖である霊】が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きるようにしてくださいました。


【父である神】と思いを一つにして生きる
天の御国での生き方を地でもしていく者に、と。
ユダヤ人も異邦人も等しくイエスを通して。


今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~ 



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