soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

慈しみに囲まれ、喜びが満ち満ちて

主に信頼する者は

   慈しみに囲まれる。詩編32:10




 願いなさい。

そうすれば与えられ、

あなたがたは喜びで満たされる。ヨハネ16:24




 申命記4:27~40

 マルコ7:1~23

      (ローズンゲン日々の聖句8/6;土)




 天の神、主は、ご自身に信頼して来る者を恵みと慈しみで取り囲み、

喜び、楽しませて下さるのだそうです。




 イエスが十字架刑で死刑になってくださった死を、「生まれたときからの霊」という自分自身の死としていただき、イエスと一つにしていただいている者として、イエスの名によって「父である神」に願うなら、受けることができ、喜びが満ち満ちたものにしていただけるのだそうです。




 イエスは言われます。

「してみると、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:13)と。




 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、私たちが、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になろう」創世記3:5、22)として、ご自分に対抗し、そむく者となっている、その「生まれたときからの霊」という自分自身を、イエスの十字架刑での処刑に合わせて処刑されたものとし、このイエスを通して来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、この方によって、御自身と同じ思いを思い、一つ心になり、一つ行動をし、一つ存在になって欲しいと願っておられるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~31)。

「聖である霊」をお迎えして、この方によって生きていって欲しいと。




 人間が付け加えた言い伝え、宗教によっては、どうにもできない人の心の内側(マルコ7:1~23)をこの方によって取り替えていただき(ヨハネ3:1~8、ロマ12:1~2)、

天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を慕い求め、心を尽くし、精神を尽くして、この方の御思いを求め、

幸せになり、長く生き続けるようにと(申命記4:27~40)。

今日も。


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