心を合せて、救いの御業を共にしていく者に
声を響かせ、賛美せよ。
そして言え。
「主よ、あなたの民をお救いください。」エレミヤ書31:7
イエスはお癒しになった人に言われた。
「自分の家に帰りなさい。
そして身内の人に、
主があなたを憐れみ、
あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」マルコ5:19
ルカ10:38~42
エレミヤ書12:1~6
(ローズンゲン日々の聖句9/8;木)
救いは、天の神、主、「わたしはある」という者だと言われる方にあるのですね。
多くの悪霊を宿していて、裸で、墓場に住んでいた人が、イエスによって悪霊を追い出してもらい、正気に返って、イエスのお供をしたいと言ったとき、イエスはこのようにおっしゃられ、その人を家族のもとへ返されたのだそうです。
天の神、主、「わたしはある」という者だとおっしゃる方は、ご自分を捨てて他の神々に行くご自分の民に預言者を遣わし、立ち返るよう呼びかけても、民は預言者に聞こうとせず、自分の思いによって歩み、かえって預言者を殺そうとするばかりだったのだそうです(エレミヤ12:1~6)。
イエスをお迎えしたマルタとマリヤ。
姉のマルタはもてなしのことで忙しくしていたのだそうですが、妹のマリヤはイエスの足もとにすわって、イエスの言葉に聞き入っていたのだそうです。
そして、マルタがイエスに「主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを何ともお思いにならないのでしょうか。私の手伝いをするように、妹におっしゃって下さい」というと、
イエスは、「マルタ、マルタ、あなたはいろいろなことを心配して、気を使っています。
しかし、どうしても必要なことはわずかです。
いや、一つだけです。
マリヤはその良いほうを選んだのです。
彼女からそれを取り上げてはいけません」と答えられたのだそうです(ルカ10:38~42)。
天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方は、ご自身に聞くことを喜ばれる方のようですね。
私たち、いろいろなことをしていきますが、天の神、主は、この方に自分の考えも聞いていただきながら、そして、この方に聞きながら、相談しながら、心を一つにし合いながら、一つ一つのことを、一緒にやって行きたいのだそうです。
イエスが、そうしておられたように。
そして、一緒に喜び合いたいのですね。
今日も。
イメージ 1
[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]
"哲学・思想 ブログランキングへ"
[269RANKのランキングサイト]