soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

 悪魔の働きを滅ぼすためにこそ

悪魔の働きを滅ぼすためにこそ、
神の子が現れたのです。Ⅰヨハネ3:8b(3/5の週の聖句)


 見よ、その日が来ればと、主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることででもなく、
水に渇くことでもなく、
主の言葉を聞くことができぬ飢えと渇きだ。
人々は主の言葉を探し求めるが、
見いだすことはできない。アモス書8:11~12


 シモン・ペトロの言葉:
主よ、私たちはだれのところに行きましょうか。
あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。
あなたこそ神の聖者であると、私たちは信じ、
また知っています。ヨハネ6:68~69


 マタイ4:1~11
 詩編6(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句3/5;Ⅰ日)


 善きもの、それはすべて、天の神、主から出ているのだそうです(ヤコブ1:17)。
そして、悪魔に誘われて、自分で、さらに善きものになろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者になった」(創世記3:5、22)時、人がその心に計ることはみな、悪いことだけに傾くようになり(創世記6:5)、人の世は暴虐で満ちる世になったのだそうです(創世記6 :11) 。


 天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方は、この悪魔の働き、人を「神のひとりのようになり、善悪を知る者」にさせた業を滅ぼし、「われわれのかたちとして、われわれに似た」者に(創世記1:26)取り戻し、
〔父である神」、〔御子である神〕、〔聖である霊〕と呼ばれる神が心を一つにし、行動を一つにし、存在を一つにしておられる、その一つの中に加わる者にしようとしてくださっているのだそうです(ヨハネ17:21~23)。


 それで、まず、〔神の子〕である方が、人が、天の神、主にそむき、離反し、神に対立、対抗している、〔的はずれ〕になっている責任を取り、人間の身代わりになって、私たち人間が受けるはずの処罰を、ご自身が受けるために、〔女の子孫〕として(創世記3:15)、ダビデ王家の子孫、処女マリヤを通して、ベツレヘムで生まれ、人間イエスとして人の世に現れて下さったのだそうです(ヨハネ1:14)。


 そして、およそ33歳の頃、当時のユダヤの指導者の妬みにより、ローマ兵を用い、十字架刑での処刑を受けられ、受け入れる者の「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、〔生まれたときからの霊〕を、ご自分の十字架刑での処刑に合わせてくださり、処刑されたもの、死んだものと、手続きしてくださるのだそうです。


 そのうえで、受け入れる者に、もう一人の助け主、〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださって、この方によって、〔父である神〕が一人一人に思っておられる御思いを受け入れる者の心に置いてくださり、受け入れる者が、御自身と同じ思いを持ち、一つ心になるようにしてくださり、「われわれのかたち、われわれに似た」者に回復してくださるのだそうです。


私たちが、この天の神、主からの恵みのプレゼントを受け取るなら、悪魔の業は打ち砕かれ、滅ぼされることになるのだそうです。


 今は、恵みの時、救いの日なのだそうですが、やがて、この時が閉じられるときが来るのだそうです。
閉じられれば、もう、この恵みの言葉、救いの言葉を聞くことができなくなるようです。
どんなに飢え渇き、求めても。


 また、世の中には、人を善いものにする、いろいろな道、教えがあります。
「分け登るふもとの道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」と言われていますけれど、この天の神、主との〔一つ〕に到達できる道は、ペテロが言うように、このイエスによる、狭き門から入る道だけのようです。


 また、悪魔は、書かれた〔神のことば〕によって、私たちを「善悪を知る者」にならせようと誘惑して来ますが、そのようなときも、私たちは自分の理性の判断に頼らず、〔聖である霊〕と呼ばれる方に聞いて、書かれた〔神のことば〕の奥にある、神の本当の御思いと一つ思いになって、悪魔に対応していく者にもしていただけるようですね。
イエスのように(マタイ4:1~11)。
ただ、天の神、主のあわれみと恵み、助けにより(詩篇6)。
この新しい週も。
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