soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

主に頼るのは、人に頼るよりも良いのですね。

君侯に依り頼んではならない。 人間に救う力はない。詩編146:3  イエスの言葉: 盲人が盲人の道案内をすれば、 二人とも穴に落ちてしまう。マタイ15:14       (ローズンゲン日々の聖句7/15;水)  君主たちに頼ることは、頼りがいがあるかのように見えますが、実は頼りにならないものなのだそうです。人間に人間を救う力はないのだそうですから。 人間は自分の知恵を誇りますが、人間が持っている情報量はほんの限られたものであって、その知識は部分的な知識に過ぎないのだそうです。 その人間の知恵に頼ることは、目の見えない者が、目の見えない者の手引きをしているような状態なのだそうです。  詩編の作者はさらに続けて言っています。 霊が出て行くと、人はおのれの土に帰り、 その日のうちに彼のもろもろの計画は滅び失せる。 幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、 その神、主に望みを置く者は。 主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。 とこしえまでも真実を守り、 しいたげられる者のためにさばきを行い、 飢えた者にパンを与える方。 主は捕らわれ人を解放される。 主は盲人の目をあけ、 主はかがんでいる者を起される。 主は正しい者を愛し、 主は在留異国人を守り、 みなしごとやもめをささえられる。 しかし主は悪者の道を曲げられる。 主は、とこしえまでも統べ治められる。 シオンよ。あなたの神は代々にいます。 ハレルヤ。 と。  天の神、主に頼るのは人に頼るよりもいいのですね。 自分自身に頼ることも含めて。 フィリピの牢に捕らわれたパウロとシラスも、天の神、主により頼み、神に祈りつつ賛美の歌を歌っていたのだそうです(使徒16:23~34)。 人に頼っていないので、施しをするときにも、人に見せるため、人にほめられるためではなく、隠れたところで見ておられる方と心を合わせていくのだそうです(マタイ1~4)。 聖である霊と呼ばれる方によって、御思いを心に置いていただいた者は。 今日も。 イメージ 1 "にほんブログ村哲学・思想ブログ キリスト教へ" [[img(http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif)]] [http://www.blogmura.com/point/00697809.htmlPVアクセスランキングにほんブログ村] [269RANKのランキングサイト] 哲学・思想 ブログランキングへ

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