soyogiのブログ

「ローズンゲン日々の聖句」により、聖書からのメッセージを書いてみます。

人が、自分の子を訓練するように

 あなたは、


  人が自分の子を訓練するように、


    あなたの神、主があなたを訓練されることを


      心に留めなさい。申命記8:5





 私たちの主、


救い主イエス・キリストの恵みと知識において、


成長しなさい。Ⅱペテロ3:18





 マタイ14:22~33


 エレミヤ書30:1~3、31:1~14


      (ローズンゲン日々の聖句9/24;土)
 




 近年は、子どもを思ったとおりにさせることがその子の能力を伸ばすことだとの考えで、訓練とか、叱るとかいうことをあまりしない傾向があるのかもしれませんが、訓練は必要なことのようですね。
 




 天の神、主、「わたしはあるという者」と言われる方も、私たちを、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長して欲しいと願って、ご自分の民を訓練なさる方なのだそうです。
 




 エジプトの奴隷状態から脱出し、40年荒野を旅し、いよいよ、約束の地に入ろうとする、イスラエルの民に、モーセは言ったのだそうです。
 




 「私が、きょう、あなたがたに命じるすべての命令をあなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生き、その数はふえ、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方があなたがたの先祖たちに誓われた地を所有することができる。
 




 あなたの神、主が、この40年の間、荒野であなたを歩ませられた全行程を覚えていなければならない。


それは、あなたがたを苦しめて、あなたを試み、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
 




それで主は、あなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの先祖たちも知らなかったマナを食べさせられた。


それは、人はパンだけで生きるのでない、人は主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった。


この40年の間、あなたの着物は擦り切れず、あなたの足は、はれなかった。
 
あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを、知らなければならない。あなたの神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の命令を守って、その道に歩み、主を恐れなさい。
 




 気をつけなさい。私が、きょう、あなたに命じる主の命令と、主の定めと、主のおきてとを守らず、あなたの神、主を忘れることがないように。
 
あなたが食べて満ち足り、りっぱな家を建てて住み、あなたの牛や羊の群れがふえ、金銀が増し、あなたの所有物がみな増し加わり、あなたの心が高ぶり、あなたの神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方を忘れることがないように」(申命記8:1~14新改訳)と。
 







 けれども、イスラエルの民は、強くなり、豊かになったとき、この神、主とともに歩むよりも、自分の思う通りに生きることを選び、自分の思うままに他の神々を慕って、はずれて行ったのだそうです。
 
天の神、主は、何度も預言者を遣わし、ご自分に帰って来るよう呼びかけたのですが、民は聞こうとせず、これ以上放置するなら本当に滅ぼしてしまわなければならないところまで来てしまったのだそうです。





 それで、天の神、主は、バビロンの王、ネブカデネザルを用いて、民を打たれるのですが、そのとき、なんの期待もできない民に対して、ご自分の側の一方的な働きにおいて、民を回復するとの預言を語られたのだそうです。
 




 「イスラエルの神、主、『わたしはあるという者』と名乗られる方はこう仰せられる。
 
『わたしがあなたに語ったことばはをみな、書物に書きしるせ。
 
見よ。その日が来る。――主のみ告げ――
 




 その日、わたしは、わたしの民イスラエルとユダの繁栄を元どおりにすると、主は言う。


わたしは彼らをその先祖たちに与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。
 
 その時、――主のみ告げ――
 
わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる。』
 




 主、「わたしはあるという者」と名乗られる方はこう仰せられる。
 
『剣を免れて生き残った民は荒野で恵みを得た。
 
イスラエルよ。出て行って休みを得よ。』
 
主は遠くから、私に現れた。
 
『永遠の愛ももって、わたしはあなたを愛した。
 
それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。
 
おとめイスラエルよ。
 
わたしは再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。
 
再びあなたはタンバリンで身を飾り、
 
喜び笑う者たちの踊りの輪に出て行こう。
 
再びあなたはサマリヤの山々にぶどう畑を作り、
 
植える者たちは植えて、その実を食べることができる。
 
エフライムの山では見張る者たちが、
 
「さあ、シオンに上って、私たちの神、主のもとに行こう」と呼ばわる日が来るからだ。』
 




 まことに主はこう仰せられる。
 
『見よ。わたしは彼らを北の国から連れ出し、
 
地の果てから彼らを集める。
 
その中には目の見えない者も足のなえた者も、妊婦も産婦もともにいる。
 
彼らは大集団をなして、ここに帰る。
 
彼らは泣きながらやって来る。
 
わたしは彼らを、慰めながら連れ戻る。
 
わたしは彼らを、水の流れのほとりに導き、
 
彼らは平らな道を歩いて、つまずかない。
 
わたしはイスラエルの父となろう。
 
エフライムはわたしの長子だから。』 
 




 諸国の民よ。主の言葉を聞け。
 
遠くの島々に告げ知らせて言え。
 
『イスラエルを散らした者がこれを集め、
 
牧者が群れを飼うように、これを守る』と。
 
主はヤコブを贖い、
 
ヤコブよりも強い者の手から、これを買い戻されたからだ。
 
彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、
 
穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、
 
羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。
 
彼らのたましいは潤った園のようになり、
 
もう再び、しぼむことはない。
 
そのとき、若い女は躍って楽しみ、若い男も年寄りもともに楽しむ。
 
『わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。
 
わたしの民は、わたしの恵みで満ち足りる。


――主のみ告げ――』」(エレミヤ30:1~3、31:1~14)と。
 







 天の神、主は、私たちを訓練されるのですね。
 
私たちを幸せにし、
 
ご自身と思いを一つにし、心を一つにする者として私たちを成長させるために。
 




 水の上を歩いたペテロが、風を見てこわくなり、沈みかけたように、私たちも訓練の中で沈んでしまいそうな時がありますが、そのようなときも、ペテロが「主よ。助けてください」と叫び、イエスはすぐに手を伸ばし、ペテロの手をつかんで助けてくださったように(マタイ14:22~33)、


イエスは私たちの手をつかんで助け、目的の港まで運んでくださるのだそうですから。


今日も。






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